■ 顧客を無視し続ける三菱地所
前回の文章で、私は三菱地所の顧客対応を批判した。「顧客の怒り」を無視するべきではないと批判した。(注1)
【三菱地所の情報隠蔽体質批判1】
● インターネットによる情報公開は社会をどう変えるか
三菱地所の顧客対応は改善されたか。インターネット上で、これだけ厳しく批判したのである。何らかの改善があってしかるべきである。期待しながら、連絡を待つ。
三菱地所住宅販売の明利健氏から電話がある。
第一声がこれである。あぜんとする。
私の批判を完全に無視している。
当然、強く遮り答えを求める。
「ケンカを売っているのだろうか。」とまで書いているんですよ。
なぜ、返答が無いのですか。
なぜ、「腹立たしい気分です。」とまで書いたメールに応えないんですか。
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すると、明利氏は次のように言い出した。
言いかけた明利氏を遮って、私は言った。(嫌な予感がしたのである。)(注2)
明利さん。それは言わない方がいい。それを言うと、私は引用して次の文章で批判しますよ。心からの忠告ですよ。
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しかし、明利氏は、私の忠告を振り切って言い切ったのだ。
私の方としては、このあいだお送りした書面通りとしか言えません。
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頭がくらくらする。なぜ、彼は普通に話さないのだろうか。(注3)
また、三菱地所の樋口和之氏も電話で言った。
だから、普通に話せ!
怒りのあまり、泣きそうになる。
インターネット上で批判したにも関わらず、対応が全く改善されていないのである。(注4)
しかも、二人が二人とも同じ対応である。何か脳に「障害」があるのではないかという気すらする。
■ 〈バカのふり戦略〉
この顧客対応を極端にすると、次のようになる。
顧客 「書面でお答えした通りです。」で全てを済ます顧客無視の
対応が悪い。
三菱地所 書面でお答えした通りです。
顧客 だから、話を分かってますか。それが悪いと言っているんです。
三菱地所 書面でお答えした通りです。
顧客 何ですか。悪くないと思うならば、理由を説明してください。
三菱地所 書面でお答えした通りです。
顧客 会話になってないでしょ。あなたバカですか。
三菱地所 書面でお答えした通りです。
顧客 もう、いい!バカとは話していられない!
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もちろん、このバカげた対応は私の創作である。
しかし、実際に三菱地所はこれと同じような対応をしている。相手の発言を無視して、ただ「書面通り」と繰り返している。
この事態をどう考えればいいのか。三菱地所は本当にバカなのか。
そうではない。明利氏も、樋口氏も「立派な」不動産屋なのである。「きちんとした」職業人なのである。バカではないと考えた方が自然である。
異常に見える行動を見たら次のように考えてみよう。
異常に見える行動から、何らかの利益を得ているのではないか。
その異常に見える行動は、状況に適応した結果ではないか。
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実際に、その行動をおこなうことで、その人物は生きてきたのである。その行動が状況に全く適していないならば生きてはいけない。淘汰されてしまう。だから、「適応」と考えた方が自然なのである。「何らかの利益を得ている」と考えた方が自然なのである。
彼らは「書面通り」と繰り返すことによって、どんな利益を得ているのか。
上の例をもう一度見ていただきたい。上の例では、顧客は諦めてしまった。交渉を断念してしまった。
これこそが、彼らが得たものである。
彼らは「書面通り」とただ繰り返すことによって、顧客を諦めさせたのである。自分の意向を通したのである。つまり、「書面通り」と繰り返す行動は役に立っている。
もちろん、結果として顧客を怒らせることになる。しかし、彼らにとっては、それは問題ではない。既に前回の文章で述べたように、同じ顧客がもう一度マンションを買いに来ることなどほとんどないのだ。〈一回限りゲーム〉なのだ。だから、顧客がいくら怒っても恐くはない。むしろ彼らは次のように考えている可能性すらある。〈怒って諦めれば、こちらの勝ち。〉
彼らは、バカのように見える行為をすることによって、顧客を諦めさせている。利益を得ている。これは戦略なのである。
このような戦略を〈バカのふり戦略〉と呼ぼう。(注5)
■ 「分かれ!」と一喝
同様の戦略は、社会において数多く発見できる。
例えば、授業においても学生が〈バカのふり戦略〉を採っていることが多い。
私の授業を例に説明しよう。私は「論理学」・「論理的思考」の授業を次のようにおこなっている。
授業で学生が書いた文章をコピーして配る。「直すべき点を発見しなさい。」と指示して時間を与える。5分である。一人の学生を指して発表させる。
すると、学生は次のように言うことが多い。
この答えをどう解釈するべきか。直すべき点は、たくさんある。発見できない訳がない。だから、これは戦略なのだ。バカに見える行動をして、この場から逃れようとしているのだ。〈バカのふり戦略〉なのだ。
この戦略によってこの学生は何を得ているのか。
学生は次のような状態なのだろう。発表したら、間違った答えを言ってしまう可能性がある。間違うのは恥ずかしい。「分かりません。」というだけならば、恥ずかしい思いをせずに済む。また、一生懸命考えるのは面倒である。しかし、「分かりません。」と答えればいいだけならば、5分間はボーッとしていればよい。また、教師の質問には、全て「分かりません。」と答えればよいのだから、授業など聞いていなくてもよいのだ。
このような〈バカのふり戦略〉を認めてはならない。
だから、私は気迫を込めて言う。
学生はあっけにとられる。
私は、理由を説明する。
直すべき点はたくさんある。時間も、ちゃんと与えた。
しかも、君が一人目の発表者だ。何も発表できないのはおかしい。
何が何でも発表せよ!
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こう一喝するだけで、かなりの学生が「分か」る。発表する。(注6)
そして、この指導を一度しただけで、同じような課題で「分かりません。」という学生は一人もいなくなる。
だから、学生は、バカに見える行動をして、その場を逃れようとしているだけなのだ。やはり戦略なのだ。〈バカのふり戦略〉なのだ。(注7)
■ 戦略を破壊せよ
私は「分かりません。」と言った学生に厳しく言った。「分かれ!」
学生の発言を戦略だと解釈したからである。学生が悪い戦略を採っていると解釈したからである。つまり、次の二つの事態を区別する必要がある。
1 本当に分かっていない学生が「分かりません。」と言った。
2 〈バカのふり戦略〉を採っている学生が「分かりません。」と言った。
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1ならば普通に対処していい。しかし、2は強く叱らなくてはならない。そのような戦略を使うこと自体が進歩の妨げになる。学生本人のためにならない悪い戦略なのである。
だから、そのような戦略を絶対に許さないという気迫を込めて一喝するのである。戦略自体を厳しく否定するのである。
しかし、このような戦略を発見できない教師も多い。授業で学生との対話が成り立っていると考えているのである。しかし、実際には、学生は対話自体を否定する戦略を採っていることが多いのである。〈反-対話戦略〉を採っている場合が多いのである。
相手が〈反-対話戦略〉を採っている場合は、その戦略自体を破壊せよ。
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相手が〈反-対話戦略〉を採っている限りは、対話は成立しない。授業は成立しない。その戦略自体を破壊しなくてはならない。厳しく否定しなくてはならない。
■ 「書面通り」と回答すること自体が悪い
注目していただきたい事実がある。
既に、三菱地所の戦略を私が否定しようとしている点である。〈バカのふり戦略〉を破壊しようとしている点である。「『書面通り』と回答すること自体が悪い。」という論を立ている点である。
実際、三菱地所の樋口和之氏と次のようなやりとりを電話でした。(この話の内容は、別件である。つまり、三菱地所は「書面通り」と色々な件で言い続けている訳である。詳しくは次回以降の文章で論ずる。)
三菱地所 「先日、書面で出した内容が全てです。」
諸野脇 「だから、そのような対応がおかしいと言っているんです。」
三菱地所 「書面で書いたものしかお答えできません。」
諸野脇 「だから、それがおかしいんです。」
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このようなやりとりを約一時間繰り返したのだ。(もちろん、もう少し具体的内容も話したが。)(注8)
一時間も奇妙なことを言われ続けたら、嫌になる。普通は諦めてしまうだろう。
しかし、これは戦略なのである。負けてはいけない。
私は、上のように一時間言い返し続けた。その結果、三菱地所の樋口氏は普通に話し始めた。なんとか対話らしい形になった。
私は言った。
普通に話せるなら、最初から普通に話せばいいのです。
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三菱地所は、対話を拒んでいるのである。それが問題である。まず、それを正す必要がある。(注9)
相手が〈反-対話戦略〉を採っている限りは、対話は成立しない。だから、その戦略自体を破壊しなくてはならない。厳しく否定しなくてはならない。
■ 〈反-対話戦略〉を疑え
我々が他人と話す時、その相手と対話が成り立っていると考えてるだろう。相手が別の目的を持っていると考えはしないだろう。
しかし、実際には相手と対話が成り立っていないことがある。相手が普通に話していないことがある。何か別の目的を持っていることがある。
相手が〈反-対話戦略〉を採っている可能性を考えてみよう。
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相手はあなたの話を全く聞いていないかもしれない。ただ、その場を逃れようとしているだけかもしれない。
言語によるやりとりは、必ずしも対話とは限らないのである。それ以外の様々なやりとりがあるのである。複雑なのである。
相手が不自然な行動をしていたら、〈反-対話戦略〉を採っている可能性を考えてみよう。
〈反-対話戦略〉ではないかと疑ってみよう。
〈反-対話戦略〉を採っている相手とは対話は出来ないのだから。
(注1)
これは大変些細な問題である。
三菱地所が送ってきた図面が、全く役に立たない図面だっただけのことである。私の要求とは異なるものだっただけのことである。
この程度のミスは、普通の会社なら直ぐ謝罪するだろう。謝罪したところで、何の問題も無いのだ。損害賠償を要求されるような大問題ではないのだ。
しかし、三菱地所は、メールで抗議しても謝罪しない。また、インターネットで批判しても謝罪しない。さらに、弁解すらしないのだ。
これは確かに些細な事実である。
しかし、その些細な事実が、三菱地所の体質を表している。その特殊性を表している。誠に興味深い。
なお、謝罪もしくは弁解があった場合には、ここに報告する。何の報告もない場合は、三菱地所は何もしていないと考えていただきたい。
〔補 12月6日に三菱地所の統括責任者・倉田元氏から「配慮が足りない点が多々あった。」との謝罪があった。この明確な謝罪を評価したい。〕
(注2)
今回の私の批判は全て「忠告」・「警告」してからおこなったものである。
だから、私としては、「彼らが批判されることを選んだ」と考えている。
残念であるが、仕方ない。
(注3)
普通に話さないのではなく、普通に話せないのかもしれない。
三菱地所住宅販売は三菱地所の子会社である。
だから、三菱地所住宅販売の明利氏は、自分で意志決定できないのかもしれない。つまり、自分が謝ると、三菱地所の非を認めてしまうことになる。だから、謝れないのである。(ヤクザ一家を考えてもらえば分かりやすい。上部団体である三菱地所の顔を潰すことは出来ないのである。)
しかし、それは三菱地所側の問題である。なぜ、権限の無い人間と話して、私が不愉快な思いをしなくてはならないのか。
日付くらいの事務的な連絡ならば、明利氏以外の人間がすればよい。つまり、トラブルを抱えた担当以外の人間から連絡させればよい。これは、一般のサービス業では普通におこなわれていることである。〈一回限りゲーム〉に安住しているから、普通のセンスが身につかないのだ。
(注4)
既に前回の文章で、私はこのような対応を批判していた。次のようにである。
「顧客が『腹立たしい気分です』とまで書いているのである。
ほとんどの会社は、このような抗議を無視しないであろう。何らかの対応をするであろう。仮に、顧客の怒りが誤解に基づいたものであっても、その誤解を解くように努力するであろう。完全に無視をするという対応は珍しい。」
この明瞭な主張を両氏は無視した。両氏は全く「誤解を解く」気がないらしい。
つまり、両氏の対応は次のような形になっている。顧客が怒っても無視する。さらに「無視するべきではない」と顧客が怒ってもさらに無視する。
顧客の怒りに全く対応しないのである。両氏が、顧客の心を考慮していないことは明らかである。「顧客」という概念自体が無いのかもしれない。
これは、サービス業の一般的基準から見て異常である。
(注5)
三菱地所に私をごまかそうという意図があるかどうかは分からない。分かるのは、三菱地所がバカのように見える行動をしていることだけだ。
〈バカのふり戦略〉は必ずしも意図的な行為であるとは限らない。「バカのふり」をしようという意図を伴っているとは限らない。
実際には、当人には「戦略」を採っているという意識すらない場合も多い。つまり、今まで「書面通り」と言ってうまくいっていたから、同じ行動を繰り返しているだけなのである。この場合は、当人には何の悪意もないのである。
(注6)
もちろん、「分かれ!」と一喝するだけでは、発表できるようにならない学生も多い。「分か」らない学生も多い。
しかし、教師が指導すれば「分か」る。発表できるようになる。
私は次のように指導する。その学生のプリントを見る。線が引いてあれば、引いてある理由を問う。線が引いていなければ、どこを見ていたかを問う。それも答えられなければ、教師が間違いがある文を指定して言う。「間違いがあると思って、この文を見よ。」
このように指導すれば、学生は必ず「分か」る。必ず発表できる。
指導して、何が何でも発表させるのである。
なお、「分かれ!」と一喝する指導法は、宇佐美寛氏に学んだ。(学生時代、宇佐美教授の授業を受け、そのような指導を体験したのだ。)
ちなみに、宇佐美寛氏の授業の実際は次の本に詳しい。
宇佐美寛『大学の授業』東信堂、1999年
宇佐美寛『大学授業の病理』東信堂、2004年
(注7)
〈バカのふり戦略〉の発見は、教育界において特に重要である。
例えば、次の事例を見ていただきたい。
「ある日のこと、ぼくはルースと一緒に算数の勉強をしていた。最初のうち、ぼくはいい気分だった。彼女に答えや解き方を教え込むのではなく、質問しながら彼女に考えさせている≠ニ思っていたからだ。が、勉強はどうにも捗らない。質問を重ねても、沈黙に出会うだけ。ルースは何も言わず、ただじっと座って眼鏡の奥からぼくをうかがうだけなのだ。そして、ひたすら待っている。だからぼくはそのたびに、前よりももっとやさしく、的を射た問いを考えなければならなかった。そしてしまいには、彼女が目をつぶってでも答えられる、ひどく簡単な質問へと行き着くのだった。」(ジョン・ホルト、大沼安史訳『教室の戦略』一光社、1987年、40ページ)
これは〈バカのふり戦略〉である。バカに見える行動で、ルースは利益を得ている。ルースは、事実上、教師に答えを言わせている。考えて苦労することなく、答えを出すことに成功している。だだ、「沈黙」することで利益を得ているのでる。
このような戦略を放置していては、ルースは落ちこぼれていくであろう。
〈バカのふり戦略〉は学習者の進歩の妨げになるのである。
(注8)
中島義道氏が同様の闘いをしている。「会社としましてはすでにお答えしております」という回答を次のように批判している。
「そんな紋切型の回答には納得できないという手紙を出したのに、また同じことをくりかえすのですか! あきれてものが言えませんよ。それに、第一それならそうとなぜ連絡してくれないのですか! JR東海が私が今まで交渉したうちで最低です。最も誠意がなく、最も低級な回答しか用意せず、最も無礼です!」〔『うるさい日本の私』新潮文庫、1999年、85ページ〕
中島義道氏は、「紋切型の回答には納得できない」と〈バカのふり戦略〉を破壊しようとしている。
この批判に対して、JR東海のO氏は沈黙するだけである。
O氏は、さらに〈バカのふり戦略〉を採っているのだ。
(注9)
念のため書く。
私が批判しているのは、樋口氏・明利氏の対応である。
両氏のお仕事全体ではない。ましては、両氏の人間ではない。
先日お会いした時も次のようにお礼を申し上げたくらいである。
「よいマンションを造っていただきまして、ありがとうございました。」
今後、お会いすることがあっても、お礼を申し上げるであろう。
私が文章で批判しているのは、部分である。
誤解が無いように、念のため書いた。