■ 客に「ケンカを売る」三菱地所
三菱地所のマンションを買った。(注1)
当然、三菱地所と様々なやり取りをする。
実は、私は疲れ果てている。
三菱地所の行動が異常なのである。まともなやり取りが出来ないのである。
事例を挙げよう。
マンションを造る時に、施工上の理由で設計を変更することがある。勝手に変な変更をされては困る。だから、〈施工上の理由による設計変更項目リスト〉を送るよう求めた。設計変更箇所を確認しようとしたのである。三菱地所からは、変更図面集を送るという回答が来た。
そして、どうなったか。
「施工上の理由のため変更する場合があります」と注釈が付いた図面集が送られてきた。(注2)
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三菱地所は、ケンカを売っているのだろうか。
私は、施工上の理由で設計変更した箇所を訊いたのである。最終的な変更箇所を訊いたのである。その相手に「施工上の理由のため変更する場合があ」る図面集を送ってどうするのか。変更前の図面集を送ってどうするのか。
さらに、この図面集に載っているのはごく一般的な図面なのだ。具体的な変更箇所が全く明示されていないのだ。だから、もし仮に変更箇所が含まれていたとしても、私には絶対に発見できない。このように客にとって無意味なものを送ってくること自体が異常である。
一般に、このような行為をした場合、ケンカを売っていると解釈されても仕方ない。客を小バカにしていると解釈されても仕方ない。情報を隠蔽しようとしていると解釈されても仕方ない。
■ 三菱地所はバカか、それとも悪人か
しかし、私も大人である。穏やかにメールで抗議した。
なぜ、こんなことをするのかと腹立たしい気分です。
三菱地所側は、次のうちのどちらかです。
1 普通の日本語が理解できない。つまり、愚かである。
2 相手の要求に応えたくないので、はぐらかしている。つまり、腹黒い。
どちらにしろ、大きな問題です。
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「バカなのか。それとも悪人なのか。」という形式である。
もちろん、これは強い抗議である。
しかし、穏やかな面もある。「悪人」と決めつけていないところが穏やかである。悪意があると決めつけないところが穏やかである。
このように問いかけられれば、相手は次のように逃げることが出来る。
「気づかずにやってしまいました。バカでした。」
このように謝罪することが出来る。
逃げ道があるのである。
■ 謝罪しない三菱地所
実際に、三菱地所はどうしたか。
先のメールに対する返信を見てみよう。
諸野脇様
いつもお世話になっております。
遅くなっておりましたが、
先般ご要望いただいておりました回答が事業主より届きましたので
販売代理である弊社よりお送りさせていただきます。
内容をご確認下さいますようお願い申し上げます。
三菱地所住宅販売株式会社
明利 健
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これで全文である。
三菱地所は私の抗議を完全に無視したのである。
このメールには、何の謝罪もない。また、メール中に記述がある事業主の回答の中にも、何の謝罪もない。(注3)
つまり、図面集を送った本人である三菱地所住宅販売の明利健氏は何の謝罪もしなかった。また、明利氏に図面集を送るように指示したであろう三菱地所の樋口和之氏も何の謝罪もしなかった。(注4)
これは誠に奇妙である。
顧客が「腹立たしい気分です」とまで書いているのである。
ほとんどの会社は、このような抗議を無視しないであろう。何らかの対応をするであろう。仮に、顧客の怒りが誤解に基づいたものであっても、その誤解を解くように努力するであろう。完全に無視をするという対応は珍しい。
三菱地所の対応は誠に不当である。
■ 客を客とも思わぬ三菱地所
私は「腹立たしい気分です」とまで書いたのに、三菱地所に無視されている。
〈私は客扱いされていない〉と言ってもいいだろう。
実は、客扱いされていないのは、私だけではない。
入居予定者の掲示板を見ると、三菱地所への怒りの書き込みを見ることが出来る。〈質問をしたのに、一ヶ月を過ぎても何の回答もない。電話で問い合わせたら、もう一度教えて欲しいと言われた。〉という趣旨の書き込みなどを見ることが出来る。
つまり、次のように言える。
なぜ、三菱地所は客を客扱いしないのか。
それで済んでしまっているからである。客を客扱いしなくても、三菱地所は損をしないのである。
これには不動産業界の特殊性が関係している。
構造的な問題がある。
■ なぜ、悪徳八百屋は存在しないのか
不動産業界の特殊性を理解するために、不動産屋と八百屋とを比べてみよう。
仮に、八百屋がミスをしたとしよう。ピーマンと表示してシシトウを売ったとしよう。お客はピーマンだと思ってシシトウを食べた。シシトウは辛い。客は不愉快な気分になる。八百屋に行って抗議する。
「腹立たしい気分です。」
この場合、八百屋はどうするか。
もちろん、謝るであろう。
八百屋は謝るのに、どうして不動産屋は謝らないのか。
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八百屋の客は毎日のように買いに来る客である。常連である。リピーターである。だから、八百屋はお客を怒らせる訳にはいかない。怒らせてしまえば、今後買いに来てくれなくなる。常連ではなくなってしまう。
それに対して、不動産屋の客は、ほとんど一回限りの客である。不動産を何度も同じ不動産屋から繰り返し買う客は滅多にいない。不動産屋の客はリピーターではない。だから、不動産屋は客を怒らせても別に損はしない。契約が済んでしまえば、怒らせても構わないのである。同じ客にもう一度不動産を売ることなどほとんどないのである。
だから、契約まで親切・丁寧だった不動産屋が、契約後には急にいい加減になるのである。〈釣った魚にエサはやらない〉といった行動がおこなわれるのである。
悪徳八百屋は存在しない。しかし、悪徳不動産は存在する。
それは異なったインセンティブが働いているからである。
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悪徳八百屋は存在しない。悪徳では、客が来なくなるからだ。リピーターがいなくなるからだ。潰れてしまうからだ。
それに対して、悪徳不動産屋は存在しうる。元々、リピーターに頼る営業ではないからだ。悪徳でも潰れないからだ。
両者には、異なったインセンティブが働いているのだ。
■ 〈一回限りゲーム〉と〈繰り返しゲーム〉の違い
「囚人のジレンマ」というゲームがある。
次のような状況を想定するゲームである。犯人が二人捕まって、警察の取り調べを受ける。両者とも、黙秘を貫けば、軽い刑で済む。しかし、片方だけが自白すれば、自白した方はとても軽い刑になり、自白しなかった方はとても重い刑になる。両者とも自白すれば、両者とも重い刑になる。さて、あなたはどうするか。
具体的には、次のようにおこなう。二人のプレーヤーが、同時に〈協力〉・〈裏切り〉のいずれかの手を選ぶ。両方〈協力〉を選んだ場合には、両方が3点を得ることが出来る。片方が〈協力〉もう一人が〈裏切り〉の場合は、〈裏切り〉を選択した方が5点、〈協力〉を選択した方は0点になる。両方とも、〈裏切り〉を選択した場合は、両者とも1点である。
つまり、〈裏切り〉を成功させた場合が一番高い点を得ることが出来る。しかし、相手も〈裏切り〉を選択すれば、結果として両者とも1点になってしまう。
この「囚人のジレンマ」ゲームを繰り返しおこなうとプレーヤーはどう行動するか。だんだん〈協力〉するようになる。しかし、一度だけおこなう場合はプレーヤーの行動が違ってくる。〈裏切り〉を選ぶ者が増えるのである。
山岸俊男氏は次のように述べる。
囚人のジレンマについてはこれまで千を越す実験研究がなされていますが、そのなかでわかったことの一つに、同じ二人の間で同じ利得行列を用いて何度も繰り返して選択を行う場合と、一度だけしか選択を行わない場合とでは、実験参加者の選択行動が異なった原理で行われるということがあります。
一回限りの囚人のジレンマ実験では、通常、参加者はあまり「協力」を選択しません。これに対して、繰り返しのある囚人のジレンマ実験の場合には、最初のうちは「協力」が低下する傾向が見られますが、しばらくすると「協力」が再び増加を始め、結局は一回限りの場合よりも協力度が高くなる傾向にあります。
〔『社会的ジレンマのしくみ』サイエンス社、1990年、55〜56ページ〕
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「囚人のジレンマ」ゲームを繰り返しおこなっていると、〈協力〉が増えてくる。一回限りだと〈裏切り〉が増える。
〈一回限りゲーム〉と〈繰り返しゲーム〉とでは、なぜ、プレーヤーの行動が変わるのか。
山岸氏は次のように言う。
……〔略〕……お互いの選択が一回限りで、しかもお互いに同時に選択を行う場合には、自分の選択が相手に影響を与える可能性が全く存在していません。つまり一回限りの囚人ジレンマでは、自分が協力することで相手からの協力を引き出すという、利他的利己主義の働く余地が全く存在していないわけです。
〔前出、56ページ〕
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〈繰り返しゲーム〉で、プレーヤーが〈協力〉を選択するのは相手に情報を伝えるためである。自分が〈協力〉を選択する人間だと伝えるためである。伝えることによって、次の回で相手に〈協力〉を選択してもらうのである。
それに対して、〈一回限りゲーム〉では、情報を伝える意味がない。〈協力〉を選択する意味がない。次の回が無いからである。だから、〈裏切り〉を選択しても何の問題もない。
長いつき合いは、人を上品にする。
一回限りのつき合いは、人を下品にする。
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これは、既に多くの人が感じていることであろう。
次のような慣用句がある。
旅先では、一回限りのつき合いがほとんどである。その地を離れれば、同じ人とまた会うことは無いであろう。だから、恥ずかしい行為、〈裏切り〉をしても大丈夫なのである。相手に〈裏切り〉返される可能性は無いのである。
■ 「旅の恥は掻き捨て」的行動をどう改めさせるか
三菱地所は、私に対して〈裏切り〉を選択している訳である。先の事例だけではない。その後も、三菱地所は、客を客とも思わない行動を繰り返している。(こちらは、稿を改めて詳しく書く。)
三菱地所の行動をどう改めさせるか。
〈一回限りゲーム〉だから〈裏切り〉を選択するのである。ゲームを変えればよい。〈繰り返しゲーム〉に変えればよい。
ゲームを変える方法を考えよう。思考実験してみよう。
三菱地所のマンションをもう一つ買おう。三億円位の売りにくいマンションがよい。頭金6千万円を机に積み上げて、謝罪を要求する。彼らは、多分、謝罪するだろう。客を客とも思わない行動を改めるであろう。私は客に戻ったのだ。しかし、そんな金はない。
もう一つマンションを買うのは無理だ。今のマンションの契約をもう一度、契約前に戻すような方法を考えよう。例えば、次のような方法がある。内覧会には行かない。残金は支払わない。引き渡しは受けない。(次のような話をよく聞く。「『直しはアフターサービスで対応する』と言われて残金を支払ったが、その後全く直してもらえない。」 残金を支払ってしまったら、もうゲームは終わりなのだ。だから、問題が解決されるまでは、残金を支払わないのが原則である。)
また、監督官庁に相談するのもよい。私と三菱地所は一回限りのつき合いである。しかし、監督官庁と三菱地所はずっとつき合っていく。三菱地所は、私には〈裏切り〉を選択できるかもしれない。しかし、監督官庁に対しては〈裏切り〉を選択することは出来ない。つまり、〈一回限りゲーム〉が〈繰り返しゲーム〉に変わるのだ。(注5)
その他にも、ゲームを変える方法が様々あるだろう。
■ インターネットで情報公開する意義
実は、この文章自体がゲームを変えるための試みなのだ。
この文章はインターネットで公開されている。この文章を読んだ人間は、三菱地所の客を客とも思わぬ行動を知る。その中には、新たにマンションを買おうとしている人間も多いはずである。それらの人は、「出来れば三菱地所は避けたい。」と思うだろう。
三菱地所は、私に対して〈裏切り〉を選択した。私一人だけを考えれば、これは〈一回限りゲーム〉である。しかし、私はインターネットで情報を公開した。この公開が、次の顧客に影響を及ぼす。次の顧客が三菱地所を警戒する。だから、社会全体としては〈繰り返しゲーム〉になるのである。
情報公開は、社会全体として〈一回限りゲーム〉を〈繰り返しゲーム〉に変えるシステムである。(注6)
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情報公開をすれば、〈一回限りゲーム〉を〈繰り返しゲーム〉に変えることが出来る。それは、次にゲームをおこなう人に情報が伝わるからである。その情報を基にプレー出来るようになるからである。だから、相手も情報を公開されることをおそれて、〈裏切り〉を選択しにくくなる。つまり、〈繰り返しゲーム〉になったのである。
インターネットで情報を公開する意義は、ここにある。〈一回限りゲーム〉であることを利用して、〈裏切り〉を選択する者に罰を与える効果がある。密室性に隠れて悪事をおこなう者に罰を与える効果がある。
インターネットで情報を公開しよう。
実名を挙げて公開しよう。批判相手の実名を挙げるからこそ、〈繰り返しゲーム〉になるのである。(注7)
インターネットでの情報公開によって、彼らは悪事がしにくくなる。
インターネットでの情報公開によって、社会はより上品になるのである。
(2004.11.11.)
(注1)
正確に言えば、売主は次の三社である。
三菱地所
三菱商事
菱進都市開発
この三社の中心が三菱地所である。
だから、三菱地所を批判している。
もちろん、他の二社にも責任はある。
(注2)
正確には、次のような注釈が付いていた。
「施工上の理由、または行政指導及び改良などのため、プラン及び設備・仕様・形状・その他の仕上げ・建築計画等を多少変更する場合がありますので、あらかじめご了承ください。」
この注釈は、この図面集が最終図面でないことを明確に表している。私が要求したものでないことを明確に表している。
(注3)
事業主(売主)からの回答には次のようにあった。
「今回の共用部の変更につきましては、売主としては軽微な変更と考えさせて頂いており、内覧会時にご購入者の皆様へは新たな図面を作成の上、お渡しをさせて頂いておりました。
しかしながら、諸野脇様におかれましては、変更箇所のわかるリストをご希望とのことですので、至急、変更箇所をご確認頂ける資料を作成致します。当該資料につきましては、作成次第、ご郵送させて頂きますので何卒宜しくお願い申し上げます。
」
全く奇妙な文章である。
送られてきた図面集は「軽微な変更」が反映された最終的な図面なのか。それならば、先のような注釈を付けてはいけない。先の注釈は、明らかに〈最終的な図面ではない〉という意味である。注釈と売主の回答とが矛盾しているのである。
「変更箇所のわかるリストをご希望とのことですので」などと軽く言ってはいけない。私は、最初からそう「希望」していたのだ。三菱地所が、それを見落としたのである。(または、無視したのである。)謝罪が先である。
もちろん、「変更箇所をご確認頂ける資料を作成」するのはよい。しかし、最初からそうすればよかったのだ。
三菱地所は、まず、客に迷惑をかけたことを謝罪するべきだ。
(注4)
私は、次のような「警告」を少なくとも三度おこなった。
「行動を改めないならば、インターネット上で批判せざるをえない。」
また、「実名で批判することになる」とも「警告」した。
「武士の情け」である。
それにもかかわらず、彼らは行動を改めなかった。
誠に不思議であり、残念である。
(注5)
監督官庁から指導してもらうという方法がある。有効な方法である。しかし、この方法は要注意である。悪影響がある可能性があるからである。官を頼っていると、官の権限を大きくしてしまう可能性がある。官の肥大化を招いてしまう可能性がある。
出来る限り、官に頼らずに解決しよう。
しかし、出来なければ致し方ない。
(注6)
この主張にご注目いただきたい。
「情報公開は、社会全体として〈一回限りゲーム〉を〈繰り返しゲーム〉に変えるシステムである。」
私は、情報公開の新たな意義を示したのである。
(注7)
実名を挙げて批判することに対して、次のような不安の声を聞いた。
「実名を挙げてインターネット上で批判すると、相手から訴訟を起こされるのではないか。」
大丈夫である。その心配は無い。
大企業は、たいていバカではない。彼らは訴訟をしても何の利益も無いことを既に知っている。だから、訴訟は起こさない。
インターネット上の情報を封殺する目的で訴訟を起こすと、却って逆効果なのである。
次の文章をご覧いただきたい。
● インターネットを加速する既存マスメディア
−−『2ちゃんねる』をつぶす方法
私は、この文章で「日本生命『仮処分申立』事件」を分析した。日本生命が『2ちゃんねる』に対して法的措置を取った事件である。情報を封殺しようとした事件である。
その結果どうなったか。却って騒ぎが大きくなってしまった。
大企業が法的措置を取れば、それ自体がニュースになってしまう。当然、マスメディアが報道する。多くの人が事件に気がつく。今まで知らなかった人も気づく。マスメディアで報道されて初めて、インターネット上の情報に気がつく人が多いのである。
あなたのサイトに対して、大企業が訴訟を起こせば、マスメディアで報道される。そうなれば、あなたの批判がもっと多くの人の目に触れる。それは、大企業から見れば、逆効果なのである。このような理由で、訴訟を起こされる心配はない。
まだ不安な人のために念のため書く。大企業が訴訟をいきなり起こすことは無い。訴訟にはコストがかかる。だから、その前に抗議があるはずである。その時に、どうするかを考えればよい。
また、仮に訴訟を起こされたとしても、自分が正しければ恐れる必要はない。