インターネット上の選挙活動は自由である
インターネット上の選挙活動は自由である。
〈公職選挙法でホームページの利用が禁止されている〉という考えがある。しかし、この考えは間違いである。
● 選挙活動は、「本来」インターネット上でするべきものである。
● インターネット上の選挙活動は法律で禁止されていない。
● ホームページへのアクセスは有権者の自発的な行為である。
● 有権者の自発的な行為を禁止するのは不当である。
詳しく説明する。
選挙活動は、「本来」インターネット上でするべきものだ。
路上でするべきものではない。選挙カーが候補者の名前を連呼しながら通って行く。これは望ましい選挙活動ではない。政策が全く伝わらないからである。
路上には、時間・空間の制限がある。だから、複雑な政策を伝えるためには向いていないのである。(一カ所にとどまって詳しく説明すると、少数の人にしか伝えられなくなる。大勢に伝えようと車を走らせると、連呼せざるを得なくなる。)
複雑な政策を伝えるためには、インターネットこそ向いている。ホームページならば、詳しく説明することが出来る。必要ならば、何百ページでも説明することが可能である。
しかし、〈インターネット上で選挙活動が法律で禁止されている〉という考えがある。この考えは全く間違っている。
インターネット上の選挙活動は禁止されていない。
公職選挙法を見てみよう。
「衆議院(比例代表選出)議員又は参議院(比例代表選出)議員の選挙以外の選挙においては、選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第1号及び第2号に規定するビラのほかは、頒布することができない。〔第142条〕」
私達は〈ホームページを「頒布する」〉のか。違う。ホームページは〈公開〉するのである。〈ホームページを「頒布する」〉という文言は不自然である。
これは明らかにホームページについて規定した文言ではない。この法律を作ったときにはインターネットなど無かったのだから、当たり前である。インターネットについては規定が無いのである。
規定が無いのだからインターネットを自由に使えばよい。
「葉書」・「ビラ」とホームページは全く違う。「葉書」・「ビラ」は望まなくても届く。この場合、有権者は受け身である。しかし、ホームページは自分で見ようと思わなければ見ることはない。有権者は自発的である。だから、次のような比喩が適切なのである。
〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
選挙事務所内に資料室がある。さまざまな政策の資料がある。そこに、自発的に有権者が来る。いろいろな資料を閲覧して、帰っていく。
ホームページの公開でおこなわれているのは、このような〈資料室の公開〉である。「文書図画」の「頒布」ではない。これは、公職選挙法に違反していない。
候補者が「葉書」・「ビラ」などを大量に押しつけるのが禁止されていても、それは有権者の自発的な活動まで禁止する理由にはならない。両者は異なっているのである。
有権者の自発的な行為を禁止するのは間違いである。
もし、公職選挙法がインターネット上の選挙活動を禁止しているのならば、有権者の自発的な行為を禁止していることになる。政策を知り、投票する候補を決定するための手段を奪っていることになる。
それは不当である。公職選挙法にそんな不当な条文があるはずがない。有権者の自発的な行為を禁止しては、民主国家は成り立たないのだから。
インターネット上の選挙活動は自由だ。
自由であるべきだし、現状の法律においても自由とされているのだ。
諸野脇 正
ts@irev.org
(2003年5月9日)
〔補〕
既に、私は、大筋で同じ趣旨を次の文章で述べていた。
詳しく述べていた。
● インターネット選挙になるべきだった選挙 −−
あなたも公職選挙法に「違反」してみませんか
● インターネット選挙は公職選挙法違反か −−「馬」は「自動車」か
これらの文章も、合わせてお読みいただきたい。
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正の闘う哲学」 で