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● インターネット選挙は公職選挙法違反か
               −−「馬」は「自動車」か

                   諸野脇 正@インターネット哲学者
                  【e-Mail】 ts@irev.org
                  【Web Site】 http://www.irev.org/
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■ 朝日新聞の社説
 
 朝日新聞は社説において言う。
 

 日本のインターネット人口が5千万人に迫ろうというのに、いかにも時
代遅れの話だ。参院選候補者や政党のホームページが公示後、内容が更新
されなくなったり、候補者名が隠されたりしている。
 候補者が政見を訴える。経歴を紹介する。アクセスさえすれば、だれで
も見ることができるホームページは格好の道具だ。それなのに、なぜ利用
できないのか。
 総務省によると、パソコンや携帯電話のディスプレー上に表示されるも
のは、公職選挙法上の「文書図画」に当たる。選挙中は法定外のビラやチ
ラシが禁止されるのと同じように、インターネットによる運動は法律違反
になる、というのである。
 ・・・・〔略〕・・・・
 「文書図画」の制限規定はもともと、印刷媒体を対象につくられた。そ
れをインターネットにもあてはめようとするから無理が生じる。選挙運動
の規制のあり方が時代の流れに追いつかないのである。〔2001年7月
18日〕
 
 
 大筋で賛成である。「よくぞ言ってくれた。」という実感を持った。ホ
ームページの「内容が更新されなくなったり、候補者名が隠されたり」す
るのは異常である。「時代遅れ」である。インターネット上で選挙活動を
しないのは異常なのである。
 この文章では、朝日が論じていない論点を論ずる。次のような論点であ
る。
 ホームページの公開は、公職選挙法が禁止する「文書図画」の「頒布」
なのか。ビラやハガキの配布と同じなのか。総務省にそのような禁止をす
る権限があるのか。「馬」は「自動車」か。
 
 
■ ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」ではない
 
 昨年の衆院選の後で、私は次のように書いた。
 

 ホームページの公開と「文書図画」の「頒布」とは、どう違うのか。ビ
ラは読みたくなくても、新聞に折り込まれている。葉書も読みたくなくて
も、ポストに届いている。しかし、ホームページは、本人が望まなくては
見ることはない。ホームページを見た人は、アドレスを自分で打ち込んだ
のである。または、リンクを自分でクリックしたのである。ホームページ
は、自発的に行動しなくては見ることが出来ない。
 だから、「ホームページの頒布を受ける」という文言には、違和感があ
るのである。「頒布を受ける」のではなく、「ホームページにアクセスし
た」のである。「ホームページを見た」のである。
 次のような比喩が正しい。
 
 〈ホームページの公開は、選挙事務所内の資料室の公開である。〉
 
 選挙事務所内に資料室ある。さまざまな政策の資料がある。その資料室
は、一般に公開されている。そこに、自発的に閲覧希望者が来る。いろい
ろな資料を閲覧して、帰っていく。
 おこなわれているのは、〈資料室の公開〉である。「文書図画」の「頒
布」ではない。これは、公職選挙法に違反していない。
 〔「インターネット選挙になるべきだった選挙」2000年7月6日〕
 
 
 ホームページの公開は「文書図画」の「頒布」ではない。ホームページ
の公開は、いわば選挙事務所内の資料室の公開である。これだけ違うもの
を同じとみなすのは無理である。日本語の解釈として無理である。
 つまり、総務省には「禁止」する法的な権限はない。権限もないのに、
無理強いをしているのである。
 
 
■ 「『馬』と書いてあるのは『自動車』のことなんだよ。」
 
 ホームページの公開を「文書図画」の「頒布」とみなすのは日本語の解
釈として無理がある。しかし、無理がある解釈を認める立場もある。
 例を挙げて説明しよう。
 仮に、馬に税金をかけている国があったとする。その国では、急に自動
車が普及した。そのため、馬を飼う人が急減した。大幅に税収が減ってし
まった。しかし、新しい法律を作るのは時間がかかる。
 そこで、「創造的」な解釈をするのである。
 

 「『馬』と書いてあるのは『自動車』のことなんだよ。」
 「はぁ?」
 
 
 日本語の解釈としては、相当の無理がある。
 突然、こう言われたら、多くの人が困惑するであろう。
 しかし、これは真面目な話である。現実に問題が発生しているのである。
解釈によって、問題を解決しようとしているのである。
 法律に「馬」と書いてあるのは、実は「自動車」だと解釈する。「馬」
と書いてあるのが「自動車」であるならば、税収不足の問題は解決するの
である。
 つまり、「馬」とは、〈ものを動かすために使うもの〉という意味であ
る。「馬」に課税する意図は、ものを動かす経済活動に課税することであ
る。「馬」が「自動車」に取って代わられた場合、当然「自動車」に課税
することになる。そのような経済活動に課税するのが意図だからである。
だから、「馬」と書いてある法律を「自動車」と解釈してもよい。
 このような立場に対しては賛否両論がある。しかし、ここではその問題
には深く立ち入らない。
 次のことを示せば、十分だからである。仮に、無理な解釈を認める立場
に立ったとしても、ホームページ公開禁止は正当化できない。
 以下、詳しく説明する。
 
 
■ 一定数以上の「文書図画」の「頒布」を禁止した意図
 
 公職選挙法で規定外の「文書図画」の「頒布」を禁止したのはなぜか。
「頒布」できる数を制限したのはなぜか。
 公平な選挙活動を望んだからであろう。数の制限がなければ、お金を持
っている者だけがたくさんのビラを「頒布」できる。これを不公平と考え
たのであろう。
 確かに、ビラをたくさん作るにはお金がかかる。たくさん作れば作るほ
ど、お金がかかる。
 しかし、ホームページの場合は、どうであろうか。アクセスが増えれば
増えるほど、お金がかかるのだろうか。大筋でそんなことはないであろう。
ホームページでは、お金を持っている人だけが有利になることはない。
 法律の「創造的」解釈を認める立場がある。「馬」を「自動車」と解釈
することを認める立場がある。
 しかし、その解釈には基準が必要である。その基準は法律の意図である。
先の例の場合、意図は〈ものを動かす経済活動に課税する〉であった。
 「文書図画」の「頒布」を禁止した意図は、〈公平な選挙の実現〉であ
ろう。
 この意図を基準に解釈すると、どうなるであろうか。ホームページの公
開は〈公平な選挙の実現〉の妨げにはならない。お金を持っている人だけ
が有利にはならない。つまり、ホームページの公開を「文書図画」の「頒
布」と解釈することは出来ない。
 
 
■ 自主独立の気概を持とう
 
 去年の選挙の後、私は次のように書いていた。
 

 来年の参議院選挙までに、何とかなるならばまだよい。しかし、このま
までは、何年もかかる可能性がある。インターネット選挙が、何年も実現
しない可能性がある。
 では、どうすればよいのか。次の選挙では、堂々とインターネットで選
挙活動をすればよい。〔2000年7月6日〕
 
 
 インターネット上での選挙活動は、公職選挙法違反ではない。
 それにも関わらず、インターネット選挙が実現していない。誠に残念で
ある。
 もちろん、公職選挙法を改正するのも、よいであろう。
 しかし、その前に、政治を志す者に望むことがある。それは、〈自分で
考えること〉である。何が正しくて、何が間違っているかは、総務省が決
めるのではない。自分が決めるのだ。事実に基づいて、自分が決めるのだ。
 政治家とは、新しいものを作っていく仕事であろう。新しい法律を作っ
ていく仕事であろう。言いかえれば、今までの法律・法律の解釈を疑うの
が政治家の仕事である。だから、他者の解釈を絶対視している訳にはいか
ない。
 総務省の禁止が正しいか。法律の解釈として正当か。総務省の解釈を絶
対視するのではなく、自分で考えるべきである。
 いわば、自主独立の気概が必要である。そのような気概なくして、政治
は成り立たないのだから。
 
                      〔2001年8月3日〕

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 ◆インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】◆ 
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● インターネット選挙になるべきだった選挙

● GLAYが選挙を変えるかもしれないという話