■ ヤワラちゃんが癒される時?
朝日新聞の「私がいる時間 田村亮子さんの
午後10:00」を読む。
リードに「『小さな命』とふれあう。勝負を忘れ、癒される。」とある。
「なるほど。柔道のヤワラちゃんが、自分が癒される時について語るのか。」と思う。
練習は朝7時から夜8時まで。ご飯を食べておふろに入って、ひといきつくのがこの時間。愛犬の『五輪ちゃん』を……〔略〕……。〔『朝日新聞』2003年6月1日〕
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ちょと待った、ヤワラちゃん!
本当に「勝負を忘れ」ているか。
なぜ、犬の名前が「五輪ちゃん」なのか。「勝負」そのものの名前である。
ヤワラちゃんは、犬の名前を呼ぶであろう。
すると、やはり、次のように続けたくなるではないか。
だめだ。
これでは「勝負を忘れ」られない。
「勝負を忘れ」にくい名前なのである。
■ ヤワラちゃんの犬の名前
しかし、これで驚くのは早かった。ものすごい事実が語られるのである。ヤワラちゃんはたくさんの犬を飼っている。その名前は……。
アトランタ五輪の前、雪の日に拾ってきた「アトランタちゃん」、イタリアやスペインでオリンピックを指すオリンピコという言葉から名付けた「ピコちゃん」、試合前に必ず見る映画「ロッキー」にちなんだ「ロッキーくん」もいます。〔同上〕
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負けた。
負けたよ。
ヤワラちゃん。
一時たりとも、「勝負を忘れ」ないようにする姿勢に。
「私がいる時間」は、〈癒し〉を語るコーナーであろう。しかし、ヤワラちゃんの〈癒し〉を語ると、ブラックジョークのように聞こえる。とても、〈癒し〉には聞こえない。
〈癒し〉を語っているはずなのに、かえって〈執念〉を感じてしまうのである。柔道への〈集中〉を感じてしまうのである。
■ 〈集中〉が必要である
ヤワラちゃんは言う。
友達と遊びに行っても、技のことを考えたり、練習に備えて早く帰ろうと思ったり。柔道が頭から消えることがない。〔同上〕
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ヤワラちゃんの特徴は、このような柔道への〈集中〉である。「柔道が頭から消える」ことは無いのである。
「朝7時から夜8時まで」練習するくらい〈集中〉する。練習以外の時も、柔道のことを考え続けるくらい〈集中〉する。さらに、ペットの名前を付ける時も、自分が目標として目指すオリンピック関係の名前を付ける。
異様な〈集中〉である。
次の原理を確認してもらいたい。
何か大きなことを成し遂げようとするならば、〈集中〉しなくてはならない。
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ヤワラちゃんはオリンピックで金メダルを取った。それは柔道に〈集中〉したからである。
ヤワラちゃんが一般的な女子高生のようにだらだらと生活していたらどうであろうか。次のような姿を想像してもらいたい。
ルーズソックスをはき、渋谷センター街でたむろするヤワラちゃん
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これで金メダルが取れるか。もちろん無理である。だらだらとした生活をしていては金メダルは取れない。
さらに、考えよう。ヤワラちゃんが、金メダルと同時に物理学でノーベル賞を取ろうとしたらどうであろうか。それは不可能であろう。もう既に、「朝7時から夜8時まで」が練習の時間なのである。ヤワラちゃんには、物理学の勉強・研究をする時間はない。
人間のエネルギーには限りがあるのである。そのエネルギーを複数に分散しては、一つひとつにかけるエネルギーは少なくなる。それでは、どれも中途半端になり易い。
だらだらした人物、エネルギーを分散させた人物が金メダルを取ることはあり得ない。ノーベル賞を取ることはあり得ない。それらは〈集中〉の産物なのである。
だから、大きなことを成し遂げようとするならば、一つの事柄にエネルギーを〈集中〉する必要がある。
■ ヤワラちゃんは〈集中〉の人
「私のいる時間」は〈癒し〉を語るコーナーである。
だから、もちろん、ヤワラちゃんも先の部分に続けて次のように言う。
「彼女」〔五輪ちゃん〕と過ごす寝るまでの約2時間は、柔道を忘れられる唯一の安らぎの時間です。〔同上〕
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「安らぎの時間」であるのは事実だろう。
しかし、「柔道を忘れられる」は、どうだろうか。
「忘れられ」たり、そうでなかったりだろう。
私には見える。
五輪ちゃんと遊んでいて、柔道の技を思いつき、つい五輪ちゃんに技をかけてしまうヤワラちゃんの姿が。(または、五輪ちゃんに技をかけないまでも、突如思いついて技の練習を始め五輪ちゃんを吹っ飛ばすヤワラちゃんの姿が。)
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ヤワラちゃんなら、当然そうであるはずである。柔道に〈集中〉しているからである。
バスローブをはおり、ブランデーを飲みながら、犬と戯れるヤワラちゃんなど見たくない。やはり、ヤワラちゃんならば、柔道着を着て犬と練習して欲しい。
確かに、ヤワラちゃんも〈癒し〉の時間を持っているのだろう。〈癒し〉の時間は役に立っているのだろう。しかし、それはヤワラちゃんの人間構造の中核ではない。ヤワラちゃんの中核は〈集中〉である。〈癒し〉の時間を持たないヤワラちゃんは想像できる。しかし、〈集中〉していないヤワラちゃんは想像できない。もし、〈集中〉していないとすれば、それはもうヤワラちゃんではない。
ヤワラちゃんほど、〈癒し〉が似合わない人物はいない。ヤワラちゃんは、〈集中〉によって常人には出来ないことを達成する人物である。だから、〈癒し〉が似合わないのである。
ヤワラちゃんは〈集中〉の人なのである。
■ 命名「yahoo! BB スタジアム」?
オリックスブルーウェーブの本拠地が「yahoo! BB
スタジアム」と命名された。ソフトバンクが命名権を購入して、そのように命名したのである。
しかし、なぜ「yahoo! BB スタジアム」なのか。「BB」を付けるのか。「BB」を付けずに、「yahoo!
スタジアム」とした方が自然である。または、「ソフトバンク
スタジアム」の方が自然である。
たとえて言えば、「永谷園のお茶づけ
スタジアム」になったような感じなのである。「お茶づけ」は不自然である。「お茶づけ」を付けずに「永谷園
スタジアム」の方が自然である。
ADSLのサービス名に過ぎない「yahoo! BB」より、そのサービスをおこなう会社名である「yahoo!」・「ソフトバンク」をスタジアム名にする方が自然である。一般的である。
それにもかかわらず、ソフトバンクは「お茶づけ
スタジアム」的命名をした。
それは、なぜか。社長である孫正義氏は何を考えていたのか。
孫正義氏は、「BB」すなわちブロードバンドに〈集中〉したかったのである。「BB」と命名することは、ブロードバンド事業への〈集中〉を表している。
自分の目標、仕事の最重要点を命名で示したのである。
■ 孫正義氏も〈集中〉の人
これはヤワラちゃんと同じ〈集中〉である。
想像しよう。孫正義氏の犬の名前を。
BBちゃん、ブロードバンドくん、会員400万人達成くん……
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たぶん、こんな名前なのではないか。
孫正義氏は、一日中ブロードバンドのことばかり考えているのである。〈集中〉しているのである。
ドキュメンタリー番組で孫正義氏が社員に次のような趣旨を言っているのを見た。
孫正義氏は正月に「休」まないのである。仕事をするのである。そして、それを重要なことと思っているのである。
まさに〈集中〉の人である。
その〈集中〉が命名に現れるのである。
「yahoo! BB
スタジアム」、孫氏の〈執念〉を感じさせるよい名前である。〈集中〉を感じさせるよい名前である。
■ 〈集中〉で行こう
ヤワラちゃん、孫正義氏の〈集中〉に学ぼう。〈集中〉した生活が必要なのである。〈集中〉した生活をおくるように自覚的に努力することが必要なのである。
現代においては、人間は、自覚的に努力しない限り〈集中〉することが難しい。ごく普通に生活していれば、テレビを見たり、テレビゲームをしたりしてしまう。そうすると、確実に時間が奪われる。エネルギーが分散してしまう。
さあ、私も愛車「インターネット哲学号」に乗って「森」へ出かけよう。(今、自転車にそう命名した。)
テレビも何も無い場所で、一日中、執筆しよう。
何かを成し遂げたいなら、〈集中〉するしかないのだから。
(2003年6月6日)