■ 「尻子玉」まで取られている!
ヤフーでニックネームを取ろうとした。ニックネームとは、掲示板に書き込む時や、ホームページを作る時に使うものである。(ヤフーIDを一つ取ると、六つのニックネームが取れる。)
出来れば、意味のあるニックネームを取りたい。無意味綴りのようなニックネームは嫌だ。
もちろん、inuやnekoなどのメジャーな単語は取られているだろう。しかし、マイナーな単語なら大丈夫であろうと思った。(この段階で、私はまだインターネットの超大都市性を甘く見ていた。)
それでは、以下に私の闘いを実況しよう。
単語を入力して、登録の有無をチェックする。(ローマ字だと読みにくいので、以下、単語はカタカナで書く。)
うん。「モモンガ」は取られているか。
仕方ないこれはどうか。
うーん。「ワライカワセミ」も取られているか。
じゃあ、とてもマイナーな動物だ。(たぶん、動物ではないです。)
は?
「尻子玉」まで取られている。
取ってどうするんだ。
「尻子玉」を。
陸の動物がダメならば、海の生物はどうか。
うん。これは取られているよね。
へー。二つ合わせても、取られている。
おい。おい。凄いな。これも取られている。
……。負けた。負けたよ。
ニックネーム「イカタコエビカニ」。取ってどうするんだ。長すぎないか。ニックネームにしては。
■ 高貴な鮭になった哲学者
その後、私は六時間ほど闘い続けた。厳しい闘いだった。意味がある単語のうちでニックネームになるものはほとんど登録されているのである。
しかし、何とか取ったのである。意味のある単語でニックネームを。
素晴らしいことである。
哲学の勝利である。
私が勝ち取ったニックネームは。
「時鮭」は、特別な鮭である。秋ではなく、春に獲れる鮭である。油がのったおいしい鮭である。高貴な鮭と言ってもいいくらいである。 ……。
何かうれしくないぞ。「時鮭」。
なぜ、私が鮭に?
インターネットのバカ。
■ 日本二大珍名
「諸野脇」は珍名である。この名前を持つ人間はほとんどいない。
だから、例えば、近所の店で次のようなことは起こり得ない。
店員 お好きなIDを決めていただきます。
私 「shonowaki」でお願いします。
店員 申し訳ございませんが、既に同じIDが登録されています。
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「shonowaki」というIDが、私以外の人間によって登録されていることはあり得ない。どう考えても、近所に私以外の「諸野脇」はいないのだ。
しかし、インターネットではどうか。
ヤフーのニックネームで「shonowaki」を登録しようとする。
ニックネームshonowakiはすでに使用されています。他のものを選択してください。
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ええっ。「shonowaki」が既に登録されている?
誰が?
何のために?
念のため「諸野脇」と並ぶ、日本の二大珍名の一つ「烏賀陽」を調べてみる。
ニックネームugayaはすでに使用されています。他のものを選択してください。
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ええっ。「ugaya」も登録されている。
誰が?
何のために?
これがインターネットの力である。いわゆる「現実世界」ではありえないことが、インターネットでは起こるのである。5000万人の日本人が集中しているインターネットでは不思議なことが起こるのである。
たくさんの人が集中しているので、珍名でも登録されてしまうのである。
あらゆる名前が登録されてしまうのである。
■ 「集中」の力を実感しよう
インターネットには不思議な力がある。人口集中による力がある。「尻子玉」も「諸野脇」も「烏賀陽」も登録されてしまうのである。
このインターネットのものすごい力をあなたにも実感してもらいたい。
あなたもヤフーID・ニックネームを登録してみよう。
ヤフーID登録ページ
思いつく単語・熟語・慣用句を何でも入力してみよう。有名な歌の一節でもいい。
たぶん、それは既に登録されている。
■ インターネットが哲学者を高貴な鮭にした
これは確かに些細な例である。しかし、その些細な例こそがインターネットを語る。具体的な例こそがインターネットの特徴を表すのである。
「諸野脇」や「烏賀陽」を登録してしまう力。
哲学者を高貴な鮭にしてしまう力。
このようなインターネットの「超巨大都市」としての力を実感しよう。
私は次の文章でインターネットにおける人口集中の効果を論じた。
「インターネットの超巨大都市性」を論じた。
●インターネット50億人集中論
この文章で、私は〈インターネット上への人口の集中が多様性をもたらす〉ことを論じた。
ニックネームもこの原理に当てはまる。ヤフーには、あらゆる言葉がニックネームとして登録されている。多様なニックネームが登録されている。つまり、インターネットには、ものすごい多様性があるのである。これは人口集中がもたらしたものである。
インターネットの「集中」の力が哲学者を鮭にしてしまったのである。インターネットの「超巨大都市性」が哲学者を鮭にしてしまったのである。
■ インターネットの「超巨大都市性」を理解しよう
インターネットの「超巨大都市性」を理解しているとはどのような状態か。インターネットの「集中」の力を理解しているとはどのような状態か。
「インターネットは超巨大都市である。人口が集中している。だから、多様性がある。」と言葉で言えればよいのか。そうではない。言葉を再生できるだけではだめである。
原理を理解しているとは、原理の言葉と経験が繋がることである。例えば、その原理にあてはまる事例を挙げられる状態である。集中によって起こるさまざまな効果を挙げられる状態である。そのためには上のような実感が必要である。経験が必要である。
さらに言えば、原理を理解しているとは、その原理を使って新しい事例を解釈できる状態である。(今回、私は新しくヤフーID・ニックネームという事例を解釈したのである。)
皆さんも、この原理でどのような事例を解釈できるかを考えてもらいたい。
もちろん、私も考える予定である。
(2003年7月25日)