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最新情報は ブログ「諸野脇 正の闘う哲学」 で
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【オリコン訴訟1】
● ジャーナリスト個人を対象にした高額訴訟の不当性
−−反SLAPPの論理
諸野脇 正@インターネット哲学者
【e-Mail】 ts@irev.org
【Web Site】 http://www.irev.org/
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■ オリコンが〈言論封殺〉を狙う?
オリコンが、ジャーナリスト個人を対象に五千万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。『ITmedia
News』は次のように報じている。
「雑誌記事内の事実誤認に基づくコメントにより名誉が傷つけられた」として、オリコンが音楽ジャーナリストに5000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしていたことが分かった。これに対し、ジャーナリストやネットユーザーからは「記事を掲載した出版社ではなく、編集部に求められてコメントしたジャーナリストを訴えるのは言論妨害ではないか」と批判が出ている。
オリコンが訴えたのは、音楽ジャーナリストの烏賀陽弘道さん。月刊誌「サイゾー」(インフォバーン発行)の今年4月号の記事で、烏賀陽さんが編集部の電話取材にこたえてコメントした内容が事実誤認に基づいており、名誉が傷つけられたとして17日に提訴した。
記事では烏賀陽さんのコメントとして、オリコンが公表している音楽ヒットチャートについて「調査方法をほとんど明らかにしていない」「予約枚数もカウントに入れている」などと指摘している。
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●「オリコンチャート」記事めぐりジャーナリストに賠償請求
「言論妨害では」と批判も
オリコンは、ジャーナリスト個人に「5000万円の損害賠償を求め」たのである。
訴えられた烏賀陽弘道(うがや
ひろみち)氏は自身のサイトで言う。
この訴訟の本質はとてもシンプルです。これは、民事訴訟の体裁だけとった言論妨害。脅迫なのです。
旧日弁連の報酬規定を適用すると、5000万円の請求訴訟を起こされた場合、弁護士の着手金だけで219万円、勝訴しても(いいですか、勝訴しても、ですよ)5000万円のうち10%で500万円、合計719万円を払わなくてはならない。
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● ■オリコン訴訟について烏賀陽はこう考えます■
=この訴訟はオリコンによる「無差別訴訟テロリズム」である
勝訴しても、「719万円を払わなくてはならな」くなる。つまり、勝訴した場合ですら、生活が成り立たなくなる可能性がある。
このような訴訟を起こされては、個人ジャーナリストは経済的に破綻してしまう。多くの個人ジャーナリストは、このような負担には耐えられないだろう。
これでは、〈オリコンは資金力のない個人を狙いうちにして《言論封殺》を狙った〉と疑われても仕方ない。「ジャーナリストやネットユーザー」から「言論妨害ではないか」と批判が出たのは当然である。
■ オリコンの異常な行動
オリコンの行動は異常である。その異常性は普通の行動と比較してみればよく分かる。
普通、間違った報道をされた(と思った)側は次のようにする。
まず、訂正・謝罪をジャーナリスト・出版社に要求する。何らかの話し合いをする。
そして、その話し合いが決裂した場合に、ジャーナリスト・出版社の両者を対象にして訴訟を起こす。(注1)
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オリコンの行動は、この普通の手続きから大きくはずれている。
オリコンの行動は、次のような特徴を持っている。
1 訂正・謝罪を求めず、いきなり訴訟を起こした。
2 ジャーナリスト・出版社の両者を訴えるのではなく、ジャーナリストだけを訴えた。
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オリコンは、烏賀陽弘道氏と『サイゾー』に訂正・謝罪を求めなかった。いきなり訴訟を起こした。しかも、烏賀陽氏だけを訴えた。ジャーナリスト個人だけを訴えた。これは、非常に異常な行動である。
ごく一般的な「名誉毀損」に対する対処と大きく異なっているのである。
オリコンの行動は異常である。「名誉毀損」に対する一般的な手続きを採っていないのである。
■ 武富士〈言論封殺〉訴訟より異常
〈言論封殺〉を狙った訴訟と言えば、多くの人が武富士を思い出すであろう。武富士は、報道関係者に対して「名誉毀損」訴訟を次々と起こした。高額訴訟によって、武富士を批判する者を黙らせようとしたのである。〈言論封殺〉を狙ったのである。
しかし、その武富士でさえ、訴訟の対象には出版社を含めている。ジャーナリストだけを訴えたりはしなかった。例えば、ジャーナリストの三宅勝久氏と同時に株式会社金曜日(『週刊金曜日』の発行会社)を訴えている。
ジャーナリスト個人を訴えるのは、群を抜いた異常さである。この点で、オリコンは武富士より異常な行動をしている。
武富士より異常な行動は、なかなか出来るものではない。
驚くべき異常さである。
■ 個人だけを訴える根拠をオリコンは示せているか?
だから、オリコンは、この異常な行動を正当化する根拠を示さなければならない。オリコンはその根拠を示せているか。
なぜ、オリコンはジャーナリストだけを訴えたのか。
〈言論封殺〉を狙ったのではないか。
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オリコンは、この疑問に答えなくてはならない。異常な行動をした根拠を説明しなければならない。その根拠をオリコンは示せているか。
オリコンの主張を見てみよう。
1 烏賀陽氏は、『サイゾー』において「明らかな事実誤認に基づく」「発言」をした。
2 烏賀陽氏は、その「発言」について「発言は自分が責任をもって行ったものと明言」している。
3 烏賀陽氏は、「長年に亘り、明らかな事実誤認に基づき、弊社のランキングの信用性が低いかのごとき発言を続けた」。
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●事実誤認に基づく弊社への名誉毀損について
話を単純にするために、このオリコンの主張が全て正しいと仮定してみよう。(このオリコンの主張が正しいかどうか自体が怪しいのであるが。)(注2)
烏賀陽氏は、「事実誤認に基づく」「発言」をしたし、その「発言」について「責任をもって行った」と「明言」したし、「長年に亘」ってオリコンの「ランキング」を中傷した。こう仮定してみよう。
オリコンの主張が全て正しいと仮定してみた。これで、個人だけを訴えることを正当化できるか。ジャーナリストだけを訴えることを正当化できるだろうか。いや、出来ない。
■ なぜ、出版社の責任を問わないのか?
まず、2を見ていただこう。雑誌の電話取材に応えた場合、コメントしたジャーナリストが一定の「責任」をもっているのは当たり前である。
しかし、ジャーナリストに「責任」があるからと言って、出版社に「責任」が無い訳ではない。出版社には、その「事実誤認に基づく」「発言」を広めた「責任」がある。両者には、別種の「責任」があるのである。
オリコンは、なぜ、出版社の「責任」を問わないのか。誠に奇妙である。
オリコンが「事実誤認に基づく」「発言」によって被害をうけたならば、出版社には「発言」を広めた「責任」がある。オリコンは、なぜ、出版社には「責任」を問わないのか。
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オリコンは、五千万円の損害賠償を求めている。それは被害の全額なのか。それならば、烏賀陽氏だけにそれを要求するのは間違っている。出版社にも「責任」があるからである。
それとも、もっと大きな被害の一部を烏賀陽氏に要求しているのか。それならば、被害総額はいくらなのか。それをどのような割合で分けているのか。また、出版社には要求しないのはなぜなのか。
3についても、同様である。「長年に亘り」「発言を続けた」とすれば、その「発言」を広めた出版社があるはずである。その出版社の「責任」は、なぜ問わないのか。(注3)
オリコンは、ジャーナリスト個人だけを訴える根拠を示せていない。
だから、このような状態では、次のように疑われるのは仕方ない。
オリコンが出版社を訴えないのは〈言論封殺〉を狙っているからである。
出版社には訴訟を受けて立つ資金力がある。
しかし、ジャーナリスト個人には資金力がない。
だから、ジャーナリストだけを訴えれば、ジャーナリストは音をあげる。
オリコンは、自分に都合の悪い情報の〈封殺〉を狙っていたのである。
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オリコンは、ジャーナリストだけを訴える根拠を示していない。言いかえれば、出版社を訴えない根拠を示していない。オリコンは、ニュースリリースの中で、〈なぜ、烏賀陽氏を訴えたか〉は述べている。しかし、〈なぜ、出版社を訴えないのか〉はどこにも述べていない。
オリコンは出版社を訴えない理由を全く明らかにしていないのである。出版社を訴えない理由を明らかにするべきである。その根拠を示すべきである。出版社を訴えないのは「名誉毀損」訴訟として異常な形式であるのだから。
このような不明朗な状態では、「ジャーナリストやネットユーザー」から「言論妨害ではないか」と批判されても仕方ない。
■ 五千万円訴訟は〈ヤクザの脅し〉なのか?
オリコン社長である小池恒氏は言う。
我々の真意はお金ではありません。……〔略〕……烏賀陽氏に「明らかな事実誤認に基づく誹謗中傷」があったことを認めてもらい、その部分についてのみ謝罪をして頂きたいだけです。その際には、提訴をすぐに取り下げます。(注4)
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●「ライター烏賀陽弘道氏への提訴」について
奇っ怪な主張である。
それならば、訴訟を起こす前に訂正・謝罪を求めればいいのである。
喩えて言えば次のような状態である。
オリコン社長小池恒氏は、相手を殴りつけた後で「謝ってもらえばそれでいいんだ。」と言った。
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五千万円訴訟で「殴りつけ」てから謝罪を求める。これでは、力で「謝罪」を強制していると疑われても仕方ない。
この点で、オリコンはまるでヤクザのようである。一般市民が、ヤクザに殴られて「謝れ。コラ。」と言われたとする。多くの場合、一般市民は「謝」るであろう。
しかし、「謝」ったとしても、それは本心からの謝罪ではない。ヤクザの力に脅されて、「謝罪」しているだけなのである。〈ヤクザの脅し〉が効いただけである。
オリコンは烏賀陽氏を五千万円訴訟で「殴りつけ」てから謝罪を求めた。これでは、烏賀陽氏に対して、〈ヤクザの脅し〉を効かせようとしたと疑われても仕方ない。
■ 〈ヤクザの脅し〉を受けていては、自分の信じていることが言えない
オリコンは、烏賀陽氏に対して〈ヤクザの脅し〉として機能する行動をした。
これは大変問題がある。
〈ヤクザの脅し〉を受けている状態では、人は自分が信じていることが言えなくなる。自分が正しいと思っていることでも、「謝罪」せざるをえなくなる。
この場合、烏賀陽氏が自分の「発言」に自信があったとしても、「謝罪」せざるをえなくなる可能性がある。〈ヤクザの脅し〉によって「謝罪」せざるをえなくなる可能性がある。何しろ、烏賀陽弘道氏は小池恒氏に「殴りつけ」られているのである。烏賀陽氏は訴訟で破産させられそうになっているのである。とりあえず、「謝罪」しておけば、経済的な破綻は避けられる。
〈ヤクザの脅し〉を受けていては、自分が信じていることが言えなくなる。言うとヤクザにさらに「殴りつけ」られるからである。
■ オリコンが〈言論封殺〉目的を自ら認める?
もう一度、オリコン社長の小池氏のコメントを見ていただこう。
我々の真意はお金ではありません。……〔略〕……烏賀陽氏に「明らかな事実誤認に基づく誹謗中傷」があったことを認めてもらい、その部分についてのみ謝罪をして頂きたいだけです。(注5)
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また、『J-CAST
ニュース』において、オリコンのIR担当者は次のように言う。
賠償金が欲しいというのではなく、これ以上の事実誤認の情報が流れないように(多額の賠償金を課すことで)抑制力を発揮させたい
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●雑誌にコメントしたライター 5,000万円賠償請求される
オリコンは「抑制力を発揮させたい」と言う。
オリコンは〈多額の「賠償金」を求めることよって「情報が流れないように」したい〉と言う。
つまり、力による「情報」操作を意図していることを認めているのである。
これでは、自ら〈言論封殺〉目的を認めているも同然である。
烏賀陽氏を黙らせるために訴訟を起こしました。
オリコンの目的は〈言論封殺〉です。
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オリコンはこのように言っているも同然なのである。
たとえ「事実誤認の情報」だとしても、力を用いて「情報」が「流れないように」するのは不当である。「抑制力」を働かせるのは不当である。オリコンは言論以外の方法で、「情報」が「流れないように」しようとしている。〈言論封殺〉しようとしている。
「事実誤認の情報」を「流」している人物であっても、「殴りつける」ことで黙らせる手法は認めるべきでない。それは〈ヤクザ的手法〉である。(注6)
力を用いて〈言論封殺〉をするのは不当である。言論には言論で対抗するのが、現代社会の常識である。
オリコンは事実を示し、訂正・謝罪を求めればいい。それだけのことである。しかし、オリコンは、対話によって事実を明らかにする努力をせず、個人に対して多額の賠償金を求めたのである。「抑制力」を働かせようとしたのである。
■ オリコンはヤクザ的「抑制力」を働かせたいのか?
オリコンは、さらに恐ろしい主張をしているようにも思える。
オリコンは言う。
多くのジャーナリストが次のような状態になることをオリコンは狙っているのだろうか。
オリコンを批判すると高額の訴訟を起こされる。だから、オリコンに対して問題を感じても黙っておこう。
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つまり、烏賀陽氏だけでなく、その他の多くのジャーナリストを黙らせることを狙っているのだろうか。それでは、正に〈言論封殺〉である。
喩えて言えば、おおむね次のような関係である。
ヤクザであるオリコン社長小池恒氏は烏賀陽弘道氏のコメントが気にくわなかった。
そこで、まず烏賀陽氏を殴りつけた。
そして、「謝ってくれればそれでいいんだ。」と言った。
その様子を周りのジャーナリストに見せつけたかったのである。
当然、周りのジャーナリストは、「ヤクザは恐い。」と思う。
「ヤクザとは関わらないようにしよう。」と思う。「批判しないようにしよう。」と思う。
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これは、正に〈ヤクザの脅し〉が効いている状態である。「抑制力が発揮さ」れた状態である。
このような状態をオリコンは狙っているのだろうか。
「抑制力を発揮させたい」という発想自体が〈ヤクザの論理〉なのである。「抑制力」を狙うこと自体が言論に対する挑戦なのである。
■ 言論の自由が無い世界
オリコンのこの〈ヤクザ的手法〉を認めた場合、世界はどうなるか。
烏賀陽氏は言う。
もしこの種の恫喝訴訟がまかり通るようになれば、フリー記者には(いや、あるいは社員記者もできなくなるかも)企業批判はまったくできなくなります。
いやそれどころか、雑誌の求めに応じてコメントひとつしても、5000万円なのですよ。コメントすらできないではありませんか。
そんな時代が来てほしいですか?ぼくはいやです。
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● ■「オリコン」が烏賀陽個人を被告に5000万円の損害賠償訴訟■
オリコンの〈ヤクザ的手法〉を認めた場合、「企業批判」ができなくなる。
マスメディアの取材に「コメントひとつ」できなくなる。
〈ヤクザの脅し〉が横行する世界では、みんながヤクザの顔色をうかがうようになる。ヤクザの気に障ることを言うと「殴られる」からである。
これでは言論の自由が成立しなくなる。ジャーナリズムが成立しなくなる。
〈ヤクザ的手法〉と言論の自由は両立しない。
〈ヤクザ的手法〉が横行する世界には言論の自由は無いのである。
■ この訴訟をどのような前例にするかが重要
烏賀陽氏は言う。
おそらく、全国の企業の法務担当者はこの訴訟の行方をかたずを呑んで見守っていることでしょう。「なるほど、企業批判を封じるには、こういう手があったか」と膝を打っていることでしょう。そういう先例をオリコンは切り開いてしまいました。
〔前出〕
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「企業批判を封じる」ための訴訟を許す訳にはいかない。〈ヤクザ的手法〉の横行を許す訳にはいかない。だから、重要なのは今回の訴訟をどのような前例にするかである。
大筋で次の二つが考えられる。
A オリコンの〈ヤクザ的手法〉が成功する。烏賀陽氏が「謝罪」し、〈言論封殺〉が成功する。それによって、批判された場合はジャーナリスト個人を訴えれば有効であると他の企業も学ぶ。
B オリコンの〈ヤクザ的手法〉が失敗する。〈言論封殺〉を批判する声が高まり、オリコンの評判が地に落ちる。ジャーナリスト個人を訴える手法を使うと危険だと他の企業も学ぶ。
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よい前例にしなくてはならない。
よい前例とは、もちろんBである。
烏賀陽氏は言う。
これが言論の自由へのテロでなくて何でしょう。民主主義の破壊でなくて何でしょう。これは体を張ってでも阻止せねばなりません。〔前出〕
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烏賀陽氏は「体を張ってでも阻止」と力強く宣言している。Aには、絶対にしないという宣言である。素晴らしいことである。Bにしなくてはならない。
■ ネット上に広がるオリコンの悪評
現在、オリコンの評判はどうなっているのか。
● グーグルでの「オリコン 訴訟」の検索結果
406,000 件の検索結果が出る。(2月4日現在)
四十万を超えるページがヒットする。そして、その多くがオリコンに批判的な文章である。オリコンは数十万件の批判を集めているのだ。
一企業が集めた批判としては驚異的な数である。ある意味、歴史的な快挙である。
● グーグルでの「ヤクザ オリコン 訴訟」の検索結果
32,100 件の検索結果が出る。(同上)
「ベタなヤクザ映画のような脅しである。」「まるっきりヤクザじゃないか。」などと批判されている。
はっきりと悪評が広がっていることが分かる。
オリコンは、自分のした行動に対して、責任を取らされつつある。
〈ジャーナリスト個人を訴える手法を使うと危険だ〉という前例が出来つつあるのだ。
■ 〈訴え得〉を防止するシステムが必要
この訴訟の構造には大きな問題がある。
烏賀陽氏にとって、訴えられた訴訟で勝っても、マイナスにならなかっただけである。よくてゼロである。今回の場合は、勝訴しても、719万のマイナスである。さらに、訴訟対応には莫大な時間が取られる。
だから、勝訴しても、個人ジャーナリストは経済的に破綻してしまう可能性がある。結果として、〈ヤクザの脅し〉が効いてしまうのである。
オリコンにとって、これは〈訴え得〉である。勝訴しても、敗訴しても、得なのである。
それを防止するシステムが必要である。例えば、反訴という方法がある。(もちろん、既に、烏賀陽氏も検討しているであろう。)
烏賀陽氏が、逆にオリコン側を「名誉毀損」で訴えるのである。損害賠償請求をするのである。
オリコン側は、烏賀陽氏について次のように主張した。
長年に亘り、明らかな事実誤認に基づき、弊社のランキングの信用性が低いかのごとき発言を続けた〔前出〕
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これは烏賀陽氏のジャーナリストとしての資格を否定する文言である。「長年に亘り」「明らかな事実誤認に基づき」間違った「発言」を続けるようではまともなジャーナリストではない。つまり、オリコン側は、烏賀陽氏が〈ジャーナリストとしての資質に欠ける〉という印象を与える「発言」をしたのである。
これは、烏賀陽氏の側から見れば、「名誉毀損」である。十分、反訴の理由はある。
さらに、オリコン側は「抑制」目的に訴訟を起こしたことを認めている。これは訴訟権の濫用である。損害賠償訴訟は、〈損害を賠償させる〉ために起こすものである。「抑制」を目的で訴訟を起こすのは、損害賠償訴訟の趣旨に反する。
反訴を起こして、「抑制」目的の訴訟の不当性も批判すればよい。それでやっと対等の立場なのである。
〈訴え得〉を防止する社会的システムが必要なのである。(注7)
■ 〈言論の自由の問題〉と〈ヒットチャートの問題〉とを区別しよう
この文章は交通整理の文章である。この事件で論じられている論点は多岐にわたる。そのため、問題の本筋が見えにくくなっている。
だから、この文章では本筋だけを論じた。本筋とは、オリコンの行動が〈言論封殺〉かどうかである。言論の自由を侵害しているかどうかである。個人を対象とした高額訴訟が正当化できるかどうかである。
そのため、この文章では、意図的に〈オリコンのヒットチャートの信用性〉については論じなかった。ヒットチャートについての烏賀陽氏のコメントの正否については論じなかった。
それと〈言論の自由の問題〉とは別の問題だからである。〈オリコンのヒットチャートの信用性の問題〉と〈オリコンの異常な訴訟の問題〉とは別の問題だからである。
烏賀陽氏が〈オリコンヒットチャートについて「事実誤認に基づいて」「発言」したかどうか〉など、どうでもいい。
〈オリコンのチャートの信用性〉など、どうでもいい。
問題は、オリコンが〈ヤクザ的手法〉でジャーナリストを脅そうとしていることだ。〈言論封殺〉をしようとしていることだ。(オリコンはジャーナリストだけを訴える合理的な根拠を示していない。さらに、自ら「抑制」目的だと認めている。だから、こう書かれても仕方ないであろう。)
これは〈言論の自由の問題〉なのだ。言論の自由の方がずっと大切なのだ。
かとうたかお氏は『ボピッチャー・かとうたかおのweblog』で言う。
僕はミュージシャンなので、業界についてのことは書かない。
ミュージシャンなら誰でも持っているような不平や不満などは書かない。
なぜならそれは、僕らの問題であって、世の中と共有できるような問題ではないからだ。
だから、この件が事実なのかどうかはわからない。
この件に関しての個人的な解釈などは書かない。
ただ一点、「企業が個人をこのような理由で訴訟する」という点に関しては断固として反対する。
なぜならこれは他人事ではないし、僕らが生まれながらにして持っていた遊び場が汚されていく気がするからだ。
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●これはさすがにどうかと思うので
かとうたかお氏は二つを見事に区別している。〈ヒットチャートの問題〉と〈言論の自由の問題〉とを見事に区別している。
〈ヒットチャートの問題〉は複雑であり、色々な意見の人がいるであろう。また、事実をよく調べなければ意見が言えない類の問題であり、意見を述べるのが難しい。
しかし、〈言論の自由の問題〉の方は比較的単純である。既にこの文章で私が論じた通りである。
もう一度、かとう氏の言葉を引用しよう。
なぜならこれは他人事ではないし、僕らが生まれながらにして持っていた遊び場が汚されていく気がするからだ。
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オリコンは「僕らが生まれながらにして持っていた遊び場」を「汚」そうとしている。
意見が違う多くの人も、この一点では同意できるはずである。
まず、ここから始めればよい。
■ 人間には〈正しい手続き〉で扱われる権利がある
オリコンのヒットチャートについての意見が烏賀陽氏と違う人もいるであろう。そのような人物が次のように考えるかもしれない。
烏賀陽氏はヒットチャートについて間違ったことを言っているのだから、このような訴訟を起こされても仕方ない。
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この考えは間違いである。ヒットチャートについての意見の違いを超えて、ここは烏賀陽氏の人権を守る立場を採るべきなのである。
〈ヒットチャートの問題〉と〈言論の自由の問題〉とを混同してはいけない。〈ヒットチャートの問題〉と〈言論の自由の問題〉とは区別しなくてはいけない。
仮に、烏賀陽氏が「ヒットチャートについて間違ったことを言って」いたとしても、高額訴訟を起こされるのは不当である。このような〈ヤクザの脅し〉を受けるのは不当である。それは〈正しい手続き〉ではない。
この不当性を考えるために極端な例と比べてみよう。犯罪を犯したと疑われる者である。容疑者である。(この容疑者の中には、現行犯逮捕された殺人犯なども含まれる。)犯罪の容疑者にさえ様々な権利が認められている。「黙秘権」「弁護士を頼む権利」などである。容疑者だからといって、拷問で自白を強要することは認められていない。拷問を認めれば、犯罪を犯していない者まで「自白」してしまう。冤罪が多発してしまう。
だから、関係者には、〈正しい手続き〉で取り調べることが義務づけられているのである。
現在、烏賀陽氏は、犯罪の容疑者にすら認められている権利が認められていない状態なのである。
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生活苦に追い込まれ、「謝罪」を強要されている。高額訴訟による「拷問」を受けて「自白」を強要されているのである。(注8)
これは、おおよそ現代社会において、あってはならない状態である。
現代社会における容疑者は、取り調べにおいて少なくとも食事は与えられているであろう。(私が知る限り、カツ丼が多いようである。)しかし、烏賀陽氏は経済的に破綻して食事をすることが出来なくなる可能性すらあるのだ。犯罪を犯した訳でもないのに。
このような〈不当な手続き〉を認めれば、「犯罪を犯していない」者まで、「自白」してしまう可能性がある。実際には「事実誤認」していない場合でも、「謝罪」してしまう可能性がある。「冤罪」が多発する可能性がある。
つまり、個人だけを対象にした高額「名誉毀損」訴訟は〈言論封殺〉として機能する〈不当な手続き〉なのである。だから、「名誉毀損」訴訟についても〈正しい手続き〉が必要である。
現代社会とは、〈正しい手続き〉が保障された社会である。
個人が〈正しい手続き〉で扱われる社会である。
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「あいつは悪い奴だから、殴って懲らしめてやる」という形式を認める社会は現代社会ではない。「悪い奴」にも、〈正しい手続き〉は保証されるべきである。〈手続きの正当性〉が必要なのである。
オリコンは、この現代社会の原則を踏みはずしている。〈正しい手続き〉を採っていない。だから、「まるっきりヤクザじゃないか。」と批判されているのである。「ヤクザ性」を批判されているのである。
もの凄い勢いで、オリコンの悪評はネット上で広まっている。現代社会では、今回のオリコンの行動は許されない。
オリコンが現代社会の一員として活動していきたいのならば、行動を改めるべきである。
次のような原理にまとめておこう。
どのような人間にも、〈正しい手続き〉で取り扱われる権利がある。
民主主義とは、〈手続きの正当性〉を重視する思想なのである。
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この原理をオリコンは理解するべきである。
(2007.2.7.)
〔補1〕
欧米でも、同様の〈ヤクザの脅し〉訴訟が問題になっている。
● [view]オリコン個人提訴裁判を反スラップ法理の切り口でみる
このような訴訟を欧米では「SLAPP(スラップ)」と呼ぶ。「Strategic
Lawsuit Against Public Participation」の略称である。つまり、「SLAPP」とは「言論封殺するための戦略的訴訟」である。名目上の目的(例えば、5千万円の賠償金)とは別に「言論封殺」という「戦略的」目的を持った訴訟である。
この文章は、全体として、SLAPPを批判するための論理を考える形になっている。
だから、副題を「反SLAPPの論理」とした。
〔基本リンク〕
◆ うがやジャーナル
● 『うがやジャーナル』の「オリコン訴訟についての記事インデックス」のページ
● 津川大介氏による分析のページ(烏賀陽氏に届いた訴状の現物を公開している)
◆ ORICON STYLE
● 『ORICON STYLE』の「ニュースリリース」のページ
(注1)
具体的な事例を見てみよう。例えば、智有蔵上人(クロード・チアリ)氏が起こした「名誉毀損事件」裁判では訴訟の相手は次の通りである。
被告 株式会社交藝春秋〔ママ〕
右代表者代表取締役 安藤満
東京都(以下住所略) 株式会社文藝春秋内
被告 河ア貴一〈ママ〉
実際の執筆者である「河ア貴一〈ママ〉」記者と同時に出版社である「株式会社交藝春秋〔ママ〕」が被告になっている。
(注2)
例えば、「長年に亘り、……〔略〕……弊社のランキングの信用性が低いかのごとき発言を続けた」という主張に対しては烏賀陽氏自身の次の反論がある。
「烏賀陽がオリコンについて書いた記事はたったの1本、「アエラ」「アエラ」03年2月3日号だけであり、その前にも後にもオリコンについて書いた記事は記憶にありません。」
● ■オリコンコメント・リリース中の事実誤認について■
烏賀陽氏によれば、今回のコメントを入れても「発言」は二回である。たった二回を「長年に亘り、……〔略〕……発言を続けた」とは表現しない。
これが正しいとすれば、オリコンの主張は「事実誤認」である。
「事実誤認」に厳しいオリコンである。自分自身の「事実誤認」にも厳しくあるべきであろう。「謝罪」するべきである。(もしくは、自身の主張の証拠を示すべきである。)
(注3)
遠慮することはない。全てのメディアを訴えればいい。それらの会社には「事実誤認」の「発言」を広めた「責任」があるのだ。その「責任」を取ってもらうのが、筋である。
オリコンは五千万円の訴訟を起こすほど大きな被害を受けているのだ。多くの会社を訴えた方が、被害の回復が出来る。(そんなに多くの「事実誤認」の「発言」が本当にあるのかは、誠に疑わしいのであるが。注2で述べたように。)
オリコンはジャーナリスト個人を訴えた。オリコンは次のような主張をしていることになる。〈多くのメディアで「事実誤認」の発言を繰り返した場合、ジャーナリスト個人を訴えていい。〉
これは悪用可能な論理である。これは〈オウム真理教が江川紹子氏個人を訴える〉ために利用できる論理である。江川紹子氏は、さまざまなメディアでオウム真理教を批判した。これはオウム真理教の側から見れば、〈さまざまなメディアで「事実誤認」の「発言」を繰り返された〉ことになる。だから、この論理を認めれば、〈メディアは訴えず、江川紹子氏個人だけを訴える〉ことが可能になる。
このような論理を認めてよいか。いや、認めるべきではない。
悪徳団体が、その団体を追及するジャーナリストを潰すために使える論理なのである。
(注4)
オリコンは、社長自らがインターネット上でコメントを発表している。
有名企業の社長自ら、このような問題についてネット上に情報を発信するのは異例のことである。
まず、オリコン社長の小池恒氏に敬意を表したい。
しかし、問題はその内容である。
小池氏のコメントは、奇っ怪なコメントなのである。火に油を注ぐようなコメントなのである。
オリコンは〈《言論封殺》を狙ったのではないか〉と疑われているのである。オリコンを〈金目当てだ〉と疑っている者などいない。個人ジャーナリストから五千万円取ることなどほとんど不可能だからだ。
しかし、オリコン社長の小池恒氏は、金目当てではなく「謝罪して頂きたいだけ」と述べた。つまり、〈「謝罪」強要のために高額訴訟を起こした〉と言うも同然のコメントを出してしまった。
このコメントによって、多くの人が〈ああ、やはり《言論封殺》が目的だったんだ〉と思ったようである。(インターネット上の書き込みで確認できる。)
(注5)
そんなに「明らか」ならば、訴訟を起こす必要はない。(しかも、「謝罪をして頂きたいだけ」なら、なおさらである。)「明らかな事実誤認」ならば、ジャーナリストは自ら訂正する。基本的にジャーナリストは正しい事実を求めるものである。
例を挙げる。『朝日新聞』の記者が田中康夫長野県知事の言動を捏造した事件があった。事実を確認した『朝日新聞』は、直ぐに訂正・謝罪した。「明らかな事実誤認」(事実の捏造)だったからである。
「明らか」ならば、オリコンは烏賀陽氏に訂正・謝罪を求めればよい。そうするだけで、烏賀陽氏は自ら訂正・謝罪する。全く訴訟を起こす必要はない。
〈「明らか」という事実認識〉と〈訴訟を起こす行為〉とは矛盾する。「明らか」でないから訴訟を起こすのである。「明らか」ならば争う余地はない。訴訟を起こす必要はない。「明らかな事実誤認」と言いながら、訴訟を起こすのは奇妙である。だから、〈訴訟を起こすことでオリコンにとって不利な情報が流れないようにしようとしているのではないか〉と疑われるのである。
あるジャーナリストは私に次のように語った。
「五千万円という額を聞くと、『オリコンにはやましいところがあって、それを隠そうとしているんじゃないか』と疑うよね。」
これが普通の感覚である。
「明らかな事実誤認」ならば、正しい事実を伝えるだけで済む。現に、田中康夫氏もそうしただけである。
「なお、1点だけ朝日新聞の方にご訂正をお願い申し上げたいというか不快感を表明させていただきたいと思います。21日、日曜日の朝日新聞の2面には亀井静香さんのことですね『亀井氏は今月中旬長野県内で田中知事と会談し、国民新党など反対派への協力を要請したと見られている』とお書きです。……〔略〕……このような事実は一切ございません。私は亀井氏と東京ではお目にかかっております。しかし、長野県内ではお目にかかったことはございません。」
●知事会見(衆院選について)平成17年(2005年)8月23日(火)
田中康夫氏は「訂正」を求めただけである。正しい事実を伝えただけである。
問題はそれで解決したのである。
なぜ、オリコンはそうしないのだろうか。
(注6)
力によって「明らかな事実誤認に基づく」「情報」の「抑制」を狙うのは、なぜ、悪いのか。
まず、次の原理を確認して欲しい。烏賀陽氏は事実だと信じていたからそのように述べたのである。「事実誤認」と思っているのはオリコンの側なのである。どちらが正しいかは、まだ明らかになっていない。それは事実を確認することによって明らかになる。
オリコンは事実を示し、訂正・謝罪を求めればいい。それだけのことである。しかし、オリコンは、対話によって事実を明らかにする努力をせず、多額の賠償金を求めた。
このような手法を認めれば、正しい者も「謝罪」を強要される。「明らかな事実誤認」をしていない者も「謝罪」してしまう。また、新たな事実を知った者も発言を控えるようになる。このような訴訟は、〈ヤクザの脅し〉として機能して、事実の確認の妨げになる。
だから、事前に「抑制力」を働かそうとするのは間違いである。
現代社会では、「明らかな事実誤認に基づく」「発言」の発表を認める常識が大筋で出来上がっている。被害があった場合は、事後に被害を補償すればいいのである。
言論の自由は、間違った発言の公開をも認めなければ成立しない。
(この論には〈弱者の場合は違う〉という批判がありうる。〈弱者には取り返しのつかない被害が発生する場合がある〉という批判である。しかし、オリコンは弱者ではない。強者である。業界第一位の企業である。だから、この文脈では、この批判を詳しく検討する必要はない。)
(注7)
社会のインセンティブを変える方法として、法律での禁止がある。〈ヤクザの脅し〉訴訟自体を法律で禁止してしまうのである。
〈ヤクザの脅し〉訴訟を禁止する法律が多くの国で制定されている。
● [view]オリコン個人提訴裁判を反スラップ法理の切り口でみる
アメリカにおいても〈ヤクザの脅し〉訴訟が多くの州で禁止されている。SLAPP(Strategic
Lawsuit Against Public Participation)つまり、「言論封殺するための戦略的訴訟」を禁止しているのである。SLAPP(スラップ)だと判断されると訴訟自体が無効になる。
反SLAPP法が存在すれば、オリコンもこのような訴訟を起こさなかったであろう。〈訴え得〉にならないからである。反SLAPP法は、社会のインセンティブを変えるのである。
(注8)
烏賀陽氏を経済的に支援しようという運動が始まっている。
● オリコン個人提訴事件を憂慮し、烏賀陽弘道氏を支援するカンパ活動
これは、カンパによって烏賀陽氏を経済的に支援する運動である。
さらに、同様の恫喝訴訟が起こされた場合にジャーナリストを支援する基金を作ることも考えているようである。
これも、社会のインセンティブを変えるシステムである。
高額訴訟を起こされても、ジャーナリストが経済的に苦しくならないのならば、企業がそのような手法を採るのは無駄である。企業は、最初からそのような訴訟を起こさなくなる。社会のインセンティブが変わるのである。
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◆インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】◆ 59号掲載
【筆者】 諸野脇 正 (しょのわき ただし)
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