メールマガジン発行中
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
● ノーベル賞が無かったらキャベツ男だった白川博士
−−インターネットの評価機能
諸野脇
正@哲学男
【e-Mail】 ts@irev.org
【Web Site】 http://www.irev.org/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ ノーベル賞を受賞した白川氏
白川英樹氏がノーベル賞を受賞した。
ノーベル化学賞の受賞が決まった白川英樹氏は、プラスチックなどの高分子に金属並みに電気を流すことに成功、プラスチックは絶縁体であるというそれまでの常識を覆した。高性能電池の開発など情報技術(IT)産業への応用にも直接つながる業績で、日本の科学界に久々の「ホームラン」をもたらした。〔『日本経済新聞』2000年10月11日〕
|
白川氏は、プラスチックに電気が通るようにした。これは画期的である。(注1)
既に製品も実用化されている。「高性能電池」は、携帯電話のメモリーのバッ
クアップなどに使われている。
いつのまにか、家電製品の中に、電気を通すプラスチックが使われているので
ある。
あなたの家にも白川グッズがあるはずである。(「白川グッズ」と、今、私が名づけた。)
|
あなたの携帯も白川グッズかもしれない。(注2)
白川グッズは、あなたの家も変えているのである。
■ 一般には全く無名だった白川氏
白川氏のノーベル賞受賞は、喜ばしいことである。
しかし、私にはある違和感があった。なぜ、私は白川氏を知らなかったのか。
白川氏の研究は、素晴らしいものである。それは、ノーベル賞を受賞していて
も、受賞していなくても変わらない。受賞する前でも、白川氏はノーベル賞級の
学者であった。現に、私の家にも白川グッズがあるのである。
それにもかかわらず、ノーベル賞を受賞するまでは、白川氏は一般には全く知
られていなかった。
日本経済新聞の記事データベースを調べてみた。ノーベル賞を受賞する前の記
事は、どれ位あるのか。「白川英樹」と入力し検索開始。(検索範囲は1990
年1月1日から2000年10月10日)
おい!
0件はないだろう。
0件は。
私だって、新聞に載ってるぞ。(注 いけないことをして、載ったのではあり
ません。)
どう考えても、白川博士の記事が諸野脇の記事より少なかったら、おさまりつ
かんだろう。(注3)
ノーベル賞級の学者の記事が、一つも無いのである。異常な状態である。
佐賀新聞のデータベースにも、一つの記事も無かった。他の新聞については、
データベースを使用できる環境にないので分からない。しかし、似たり寄ったり
だろうと想像する。白川氏のノーベル賞受賞を、マスメディアも驚いていたから
である。
白川氏は、ノーベル賞によって「発見」されたのである。
マスメディアは、ノーベル賞より前に白川氏を「発見」するべきだった。私達
は、ノーベル賞より前に白川氏を「発見」するべきだった。
しかし、マスメディアを責めるのは酷かもしれない。
日本の学会自体が、白川氏を「発見」していなかったからである。
■ 学会に「無視」されていた白川氏
前日本学術会議第5部長の内田盛也氏は次のように言っている。
特に重要なところをもう一度見てみよう。
内田氏、「はっきり言」いすぎ。
でも、分かりやすい。
白川氏は「失業者」だったのだ。
白川氏ご自身も次のように言う。
ノーベル賞を受ける前も海外の幾つかの大学や研究機関からは、ポストの申し入れがありました。しかし、ノーベル賞をもらってからは、話が別です。日本の大学や研究機関からいっぱい話が来ています。「なんで今ごろ」だと言いたいです。
〔同上〕
|
ノーベル賞を受賞する前は、日本からの「ポストの申し入れ」は、0件だった
のである。0件では就職できない。「失業者」になってしまう。(海外に行かな
い限りは。)
日本の学会には、白川氏の業績を評価するシステムがなかった。そう考えざる
を得ない。
さらに、内田氏は次のように言う。
白川教授は一番権威のある学会日本化学会賞ももらっていません。賞の対象にもなっていないのです。日本では高分子は面白いがみんな亜流だと思っていたわけです。それが日本全体の人間評価なんです。日本全体の人間評価が狂っているんです。
〔同上〕
|
特に重要なところをもう一度見てみよう。
内田氏、「はっきり言」いすぎ。(何か本筋と関係ないところで、内田氏に興
味がわいてきたぞ。)
でも、分かりやすい。
「人間評価が狂っている」のだ。
白川氏は日本の学会の賞をもらっていない。
日本の学会の「人間評価が狂っている」のだ。
白川氏ご自身も次のように言う。
私の場合は「出る杭は打たれる」というより放任されていた、無視されていたという感じですよ
〔同上〕
|
学会は、白川氏を「無視」するべきではなかった。
白川氏の業績を正当に評価するべきだった。
白川氏を「発見」するべきだった。
■ 「無名のヒーロー」をつくってはいけない
いわば白川氏はヒーローである。化学界のヒーローである。
ヒーローが注目されないのは問題である。
サッカー界のヒーローの中田は注目されている。野球界のヒーローのイチロー
も注目されている。
同じように白川氏もヒーローとして注目されるべきであった。
ノーベル賞を取る前の白川氏は、キャベツやブロッコリーなどをつくったりし
ながら、のんびりと暮らしていたらしい。
もちろん、白川氏の趣味が野菜づくりであることは知っている。
しかし、である。
キャベツ男とは、キャベツに顔が似ている男ではない。
また、電気が通るキャベツを研究する男でもない。
キャベツづくりに多くのエネルギーを注ぐ男である。
しかし、なぜ、キャベツづくりなのか。
ノーベル賞級の学者ならば、エネルギーを注ぐべきことはいろいろある。
講演をし、会議に出席し、後進にアドバイスをするべきである。ヒーローであ
る以上、若い者の目標になってもらいたい。
現に、ノーベル賞受賞後の白川氏の生活は、そのようになっている。しかし、
受賞前でも白川氏の業績は変わらない。白川氏はノーベル賞級の学者であった。
だとすれば、受賞前にも、そのような生活が出来るべきであった。
学会が、マスメディアが、白川氏をノーベル賞級の学者として尊重しなかった
ために、白川氏がキャベツづくりに多くのエネルギーを注いでしまった。私は、
そう思っている。
社会は、白川氏をキャベツ男にするべきではなかった。(注4)
「無名のヒーロー」をつくってしまうのは問題である。それは社会全体の損失
である。そのような状態は、あってはならないのである。
■ ノーベル賞の発明者にノーベール賞を
ある意味、ノーベル賞は、このような状態をなくすために創られたのであろう。
「無名のヒーロー」をなくすために創られたのであろう。
科学界のヒーローは、一般には見落とされやすい。イチローの活躍を見るよう
には、私達は白川氏の活躍を見ていないからである。
もし、ノーベル賞が無かったら、どうなったであろうか。
たぶん、私達は、白川氏を「発見」できないであろう。白川氏はキャベツ男の
ままである。既に、私達は、何十年もの間、白川氏を「発見」できなかったので
ある。
これは全く不当である。残念なことである。
ノーベル賞のおかげで、私達は白川氏を「発見」できた。ノーベル賞は、素晴
らしい仕事をしている。ノーベル賞は社会を変えている。評価によって変えてい
る。
ノーベルは、評価によって社会を変えようとしたのである。
|
ノーベルは、たくさんの財産を残した。そして、その財産を社会のために使い
たいと考えた。
そのための方法は、いろいろあった。例えば、癌の特効薬をつくる研究に財産
を使ってもよかった。経済活動をするプレーヤーになってもよかった。
しかし、ノーベルは、自分自身がプレーヤーにはならなかった。自分でプレー
するのではなく評価する側になったのである。評価のシステムをつくったのであ
る。ノーベル賞をつくったのである。
これは創造的な行為である。発明である。
ノーベル賞の発明者にノーベル賞を与えるべきである。
|
ノーベル賞は、創造的な発明なのである。
■ 多様な評価の必要性
確かに、ノーベル賞は素晴らしい。
しかし、ノーベル賞に頼るのはいけない。
ノーベル賞無しでも、ヒーローを「発見」できた方がよい。多様な評価が働い
ていた方がよい。
先ほど述べたように、日本経済新聞は白川氏を「発見」できなかった。これは
あってはならないことであった。特ダネを落としたようなものである。
今年、ノーベル賞を野依良治氏が受賞した。日本経済新聞は、野依氏を「発
見」できたのか。
「発見」できていた。今年の4月に、5回にわたって特集記事にしたのである。
(夕刊「人間発見 分子の世界を極める」2001年4月23日〜27日)
私は、日本経済新聞は、リベンジしたのだと思った。白川氏の時の汚名を晴ら
したのである。(注5)
NHKの「プロジェクトX」を見る。これは、製造業のヒーローを評価してい
る。
「料理の鉄人」という番組もあった。これは、料理のヒーローを評価していた。
このように多様な評価が働いていた方がよい。
このようなヒーロー達は、ノーベル賞の評価からもれてしまう。ノーベル料理
賞は無い。ノーベル賞だけでは不十分である。多様な評価が必要である。
■ 中国の最強ロボット「先行者」
インターネット上では多様な評価が働いている。だから、その情報が必要な情
報ならば、たくさんのリンクが張られる。それによって、その情報が浮かびあが
ってくる。
例を挙げよう。
中国の最強ロボット「先行者」についての文章である。この文章は、「先行
者」の高度な能力を論じている。それは、軍事兵器として転用されかねないほど
のものである。
侍魂 「最先端ロボット技術」「最先端ロボット技術外伝」
この指摘があまりに重要だったため、この文章には多くのリンクが張られてい
る。
この文章を、私はずいぶん前に中国関係の掲示板で知った。その頃は、まだ、
知る人ぞ知る文章だった。しかし、それから、多くのリンクが張られ、多くの紹
介がなされた。そのため、「先行者」は、有名な文章になった。最近では、さら
に広がりを見せ、「先行者」シューティングゲームが出来るほどである。
作者の健氏も、ラジオに出るわ、アフロになるわ、ソフトのパッケージになる
わ、雑誌にカラー4ページで載るわ、ヒットマンに狙われるわ、大変なことにな
っている。
Internetサムライのパッケージ写真
浮かびあがっている。
浮かびあがっているよ、健さん。
これがインターネットの不思議なパワーである。インターネット上の評価によ
って、情報が浮かびあがったのである。これがインターネットによる評価のパワ
ーである。
■ インターネットは多様な評価の集合体
なぜ、インターネットは不思議なパワーをもつのか。
インターネット上での評価が容易だからである。
私はホームページを公開している。そのホームページにリンクを張ってくれる
方がいる。ご自身のホームページからリンクを張ってくれる方がいる。これは、
私のホームページを評価しているのである。私のホームページに一票を投じてい
るのである。
この作業は非常に簡単である。
私も他人のホームページへリンクを張る。これは、そのホームページを評価し
ているのである。私は、そのホームページに一票を投じているのである。
もちろん、これも簡単に出来る。
リンクとは評価である。
リンクを張ることは簡単である。
つまり、インターネット上では評価が簡単である。
|
このことは、インターネットではない世界と比べてみればよく分かる。先ほど、
私は、健氏の文章にリンクを張った。これは本当に簡単であった。しかし、健氏
の文章が、インターネット上になかったら、どうであろうか。本に載っているも
のだったら、どうであろうか。他の人に健氏の文章を読んでもらうことは非常に
難しくなる。例えば、数千人にコピーして郵送することを想像して欲しい。その
ような状態においては、評価するのは非常に難しい。
それに対して、インターネット上では評価が簡単である。評価が簡単なために、
多く評価がなされる。多様な評価がなされる。
インターネット上では、多くのリンクが張られているのである。インターネッ
トはリンクで出来ている、と言ってもよい。
だから、次のように考えることが出来る。
この評価の簡便さ・多様さがインターネットの重要な特徴である。
この特徴ゆえに、インターネット上では情報が浮かびあがってくる。評価によ
って、浮かびあがってくる。
たくさんの情報があったとしても、評価が働いていない状態では役に立たない。
必要な時に必要な情報にアクセスできなければ役に立たない。
インターネットでは、多様な評価が働いている。必要な情報を浮かびあがらせ
る評価機能が働いている。だから、インターネットは役に立つ。
リンクを評価だと考えてみよう。
インターネットを評価の集合体だと考えてみよう。
発想が広がるはずである。
(2001年10月30日)
(注1)
詳しい説明は次のサイトをご覧いただきたい。
「なぜプラスチックに電気が通ったか?」
(注2)
初稿では、白川グッズの例として電動歯ブラシの充電部分を挙げていた。
しかし、読者の方から、電動歯ブラシは「導電プラスチックではない」とのご
指摘をいただいた。確認したところ、確かに導電プラスチックではなかった。
そのため、例を変更した。
ご指摘に感謝する。
(注3)
日本経済新聞があまりにも見事にボケてくれたので、つい突っ込みを入れた。
しかし、突っ込みは、哲学の一般的な手法ではない。
ちなみに、この後、日本経済新聞の記事データベースを1975年まで調べた
ところ、1985年に1件の記事を見つけた。しかし、私が要求しているのはノ
ーベル賞級学者にふさわしい扱いである。1件では、「発見」されていたとは言
えない。
実は、日本経済新聞の記事データベースでは、「諸野脇正」の検索結果は0件
であった。残念ながら、日本経済新聞には、私の記事は載っていなかったようで
ある。ここで私の記事が出れば、話の展開上都合よかったのだが。
(注4)
念のため書く。
この部分は、白川氏の趣味を批判しているのではない。社会を批判しているの
である。
社会からの仕事の依頼が無いのが問題なのである。
社会が白川氏に仕事を依頼する。それを断って白川氏がキャベツづくりにエネ
ルギーを注ぐ。このような状態ならば、別によい。それは個人の自由である。
しかし、白川氏には、仕事の依頼が無かったのである。この社会の評価が間違
いなのである。
(注5)
確かに、野依氏と白川氏とでは、だいぶ状況が違う。野依氏は「発見」しやす
かった。ここ数年、野依氏は、毎年ノーベル賞候補に挙がっていた。野依夫人が
何年も「また取れなかった。」と、がっかりしていたという話がある位である。
しかし、日本経済新聞が、がんばったのは確かである。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆インターネット哲学【ネット社会の謎を解く】◆
10、11号掲載を加筆訂正
メールマガジンの登録・解除・バックナンバー閲覧は次のページから。
http://www.irev.org/file/touroku.htm
この文章は、転載、大歓迎です。変更を加えず、ご転載下さい。(改行等の
レイアウトの変更は、していただいて結構です。)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
────────────────────────────────────
この文章の転載は、ご自由にどうぞ。出来れば、上の奥付まで一緒に、ご転載
いただければ幸いです。ご転載の後に、ご連絡いただければ、うれしいです。
メールマガジン上でお礼をさせていただきます。
────────────────────────────────────