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● サイボーグ009は携帯電話の夢を見るか
            −−未来は猥雑にやって来る

                   諸野脇 正@インターネット哲学者
                  【e-Mail】 ts@irev.org
                  【Web Site】 http://www.irev.org/
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■ 携帯電話を持ったサイボーグ009
 
 サイボーグ009が作戦開始の指示を待っている。
 携帯電話が鳴る。
 「こちら、009。」
 「あ、009? 今、渋谷にいるんだけれど。今日、夜、空いてる?」
 彼女からの電話である。
 「悪い。今、仕事なんだ。後で連絡する。」
 電話を切る009。
 
 また、電話が鳴る。
 「こちら、009。」
 「009かい? 最近寒くてねー。足が痛いんだよ。……」
 年老いた母親からの電話である。持病のリュウマチで足が痛むのである。何度も聞いた話である。年を取って話がくどくなっている。
 「母さん。ごめん。今、仕事中なんだ。」
 電話を切る009。
 
 また、電話が鳴る。
 「こちら、009。」
 「おー。田中?」
 ぶち切りをする009。田中ではないのである。
 
 
■ 正義の味方は携帯電話を持たない
 
 サイボーグ009は携帯電話を欲しいだろうか。
 欲しくはないであろう。仕事にならないからである。仕事中に仕事と関係ない電話がかかってくるのは気が散るものである。正義の味方には、特に集中が必要である。彼らの仕事には、人類の未来がかかっているのである。
 携帯電話は、誰からも呼び出される可能性がある。携帯電話は、オープンなシステムである。オープンなシステムでは、必要ない電話を排除しにくい。例えば、間違い電話の可能性がある。田中への電話で人類の未来が台無しになってしまうかもしれない。笑い事では済まない。
 正義の味方が、仕事で使うのはクローズドなシステムである。作戦を遂行するためには、関係者だけで連絡を取ることが必要なのである。外部からの連絡は、あってはならないのである。
 
 
■ NTTドコモのCMへの違和感
 
 NTTドコモのCMが気になる。何かが違うという違和感があるのである。
 CMでは、サイボーグ009をはじめとする正義の味方が無線で連絡を取っている。昔のヒーロー達である。その映像に現在の若者が携帯電話を使う場面の映像がオーバーラップする。
 
 「子供の頃、描いた未来がやって来た」
 
 違和感の中身を述べよう。
 正義の味方達が使っているのは携帯電話ではない。一種の無線機である。無線機と携帯電話は大きく違っている。携帯はオープンなシステムである。それに対して、それらの無線機はクローズドなシステムである。
 正義の味方は、作戦遂行においては内部の人間とだけ連絡できればよい。外部の人間との連絡は必要ない。
 サイボーグ009を見て、その無線機に子供があこがれたとする。そのような無線機を頭に描いたとする。
 その時、子供が描いたものは携帯とは大きく違ったものであろう。ヒーローになりきって遊ぶ時、子供が想像しているのは、9人ほどのメンバーに連絡が取れるような無線機であろう。
 子供は携帯電話を頭に描いてはいない。
 
 
■ スーパージェッター、諸星ダンの場合
 
 スーパージェッターは、よく流星号を呼ぶ。
 
 「流星号、流星号……」
 
 スーパージェッターは流星号だけを呼びたいのである。そのためには携帯電話は必要ない。携帯電話だと流星号以外の相手と連絡がとれる。例えば、短縮ダイヤルを押し間違えて、日の丸タクシーを呼んでしまう可能性がある。来たのが日の丸タクシーでは困る。多分、日の丸タクシーは空を飛ばないからである。
 また、諸星ダンにも携帯電話は必要ない。諸星ダンはアンヌ隊員とだけ話したいのであろう。諸星ダンが携帯電話でアンヌ隊員以外の女性と話していては格好がつかない。諸星ダンである以上、女性はアンヌ一人にしてもらいたい。クローズドなシステムでないと不自然なのである。
 これらのヒーローも、携帯電話を欲しいとは思っていなかったであろう。
 
 
■ 誰も夢見てはいなかった
 
 今のような携帯電話を、誰も「描」いてはいなかった。夢見てはいなかった。
 現在、日本の携帯電話の台数は約6200万台(2000年10月末時点の数値)を越えている。日本の人口は、約1億3千万人である。つまり、大まかに言って、日本人の二人に一人は携帯電話を持っている。
 街角で、中学生・高校生が携帯電話で、しゃべっている。用件を話すわけではなく、話し続ける。要するに、遊びで携帯電話を使っているのである。
 十年前、このような状態を想定した人は、私の知る限り存在しない。NTTですら、想定していなかった。NTTの携帯電話普及の予測は、もっと控えめなものだった。NTTの予測通りならば、こんなに携帯電話は普及していなかった。
 予測を間違った理由は、NTTが真面目だったからであろう。携帯電話を仕事で使うものと考えていたのである。しかし、携帯電話はNTTの予測を越えて、遊びに使われるようになった。猥雑に使われるようになった。
 
 
■ 「鉄腕アトム的な世界」は来ない
 
 園田康博氏は言う。
 

 手塚治虫氏の漫画「鉄腕アトム」は、子どもの頃最も夢中になった世界
である。
 主人公のアトムはもちろんだが、高層ビルの間を抜ける高速道路や、と
てつもなくカッコよい自動車や乗り物、何でもオートマチックになってい
る生活用品や、環境そのものにも憧れがあった。
 ・・・・〔略〕・・・・
 よく考えてみると、鉄腕アトムの世界は、主人公の鉄腕アトムを除いて
そのほとんどがすでに実現されている。コーヒー・メーカーや食器洗い機、
自動パン焼き機までが、一般の家庭にもある。体温をキャッチして、人が
近付くと自動的にスイッチ・オンする証明器具〔原文のママ〕や防犯設備
の数々……。
 しかし、これらが現実に機能しているところの風景は、鉄腕アトムの世
界とは似ても似つかない。たとえば、ひなびた温泉や、京都・奈良に旅行
して、それなりの風情を期待してそれっぽい民宿に泊まっているのに、ゲ
ーム機械や百円を入れると映るテレビがあったりしてがっかりさせられる
ことが多い。
 ・・・・〔略〕・・・・
 パソコンが今後どんなかたちで社会に入っていくかは、消去法で語るこ
とを許していただけるなら、はっきり断言できる。
 未来的に整然とした環境で(いわゆるかっこよい形で)、知的でその潜
在能力に応じた使われ方、ひとことでいえば鉄腕アトム的な世界には決し
てならないだろう−−、ということである。〔『デジタル版 徒然草』翔
泳社、1989年、225〜232ページ〕
 
 
 面白い見方である。
 私達は、様々な技術が実現された世界に住んでいる。しかし、整然とした世界には住んでいない。整然とした世界という意味での「鉄腕アトム的な世界」には住んでいない。
 いわゆるSF映画を思い出して欲しい。未来人は、どのような洋服を着ているか。たぶん、妙にシンプルな洋服をきているであろう。装飾のほとんどない洋服をきているであろう。
 しかし、そのような未来は来ないであろう。渋谷で若者の服装を見てみれば分かる。彼らは、妙にごたごたした格好をしている。色使いもサイケである。彼らが、急に妙にシンプルな洋服を好きになるとは思えない。人々の服装の趣味が、そんなに変わるとは思えない。
 未来は、「鉄腕アトム的な世界」としてはやって来ない。未来は、猥雑にやって来るのである。
 
 
■ 「鉄腕アトム的な世界」ではなく「ブレードランナー的な世界」が来る
 
 この文章のタイトルは、当然、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(P・K・ディック著、ハヤカワ文庫)のもじりである。この本を原作とした『ブレードランナー』という映画がある。
 この映画は、注目するべき映画である。未来の描き方に珍しくリアリティーがある。街がすっきりしていないのである。猥雑なのである。
 2019年のロサンジェルスが舞台である。そこはまるでチャイナタウンである。ネオンサインが輝き、屋台がごちゃごちゃ出ている。
 
 http://www.bladezone.com/contents/film/image-library/Html/1504444_Street.htm
 
 そこを歩く人々は、妙にごたごたした服装をしている。
 ビルについている大型ディスプレーには、なぜか「強力わかもと」の文字が。
 未来は、「鉄腕アトム的な世界」ではなく「ブレードランナー的な世界」としてやって来る。猥雑にやって来る。(もちろん、これは、ロサンジェルスがチャイナタウンのようになるという意味ではない。)
 
 
■ パソコンも猥雑にやって来た
 
 先の引用の最後の部分をもう一度見てもらいたい。
 

 パソコンが今後どんなかたちで社会に入っていくかは、消去法で語るこ
とを許していただけるなら、はっきり断言できる。
 未来的に整然とした環境で(いわゆるかっこよい形で)、知的でその潜
在能力に応じた使われ方、ひとことでいえば鉄腕アトム的な世界には決し
てならないだろう−−、ということである。
 
 
 園田氏は正しかった。パソコンも猥雑にやって来た。
 パソコンは、インターネット端末として「社会に入って」来た。メール端末として「社会に入って」来た。
 インターネットは猥雑である。インターネットを流れる情報量の多くがポルノなのである。極端に言えば、パソコンは、ポルノを見るために使われている。また、人と交流するために使われている。
 パソコンは猥雑に使われている。ポルノを見るためにパソコンが使われるとは、ジョブスは想定しなかったであろう。
 技術は、発明者の意図を越えて使われるのである。
 
 
■ 真面目な意図で開発された技術は猥雑に使われる
 
 ソニーがテープレコーダーを開発した時、その用途として記録を考えていたのは有名な話である。
 当時発行された『毎日グラフ』〔1950.3.15.〕に次のようにある。
 

 これは、最近日本で大量生産に移ろうとしている「もの言う紙」とも言
うべきテープ録音機である。・・・・〔略〕・・・・さらに進むと、「もの言う雑
誌、新聞」ができる可能性もあると制作者は言っている。〔ソニー広報セ
ンター『ソニー自叙伝』ワック出版部より〕
 
 
 この制作者は真面目である。テープレコーダーを記録器と考えている。「もの言う雑誌、新聞」と考えている。
 しかし、現実には、主に音楽を楽しむために使われるようになった。娯楽のために使われるようになった。
 技術を開発する技術者は、その技術の用途をある程度想定している。しかし、その想定通りになるとは限らない。技術は、当初の意図を離れて使われる。
 真面目な意図で開発された技術は猥雑に使われるのである。
 
 
■ 誰も夢見なかった未来がやって来る
 
 サイボーグ009は携帯電話の夢は見なかった。
 スーパージェッターは携帯電話の夢を見なかった。
 諸星ダンは携帯電話の夢を見なかった。
 誰も携帯電話の夢を見なかった。
 誰も夢見なかった未来がやって来た。誰も描かなかった未来がやって来た。
 それは、夢見られていた未来より、はるかにすごい未来なのである。
 これからも、誰も夢見なかった未来がやって来る。
 猥雑にやって来る。
 夢見なかった未来がやって来る。
 
                 〔2000年11月24日〕

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